創世記2:3
神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。
安息が必要です
主は、私たちに「安息」を与えたいと願っておられます。
「覚える」とは「思い起こす」という意味です。
安息日とは、まず第一に「思い起こす日」だということです。
「聖なるものとせよ」とは「他の日とは区別せよ」ということです。
私たちは「思い起こすために」「区別された日」を持つ必要があるのです。
それが、何を意味するのかは創世記を読めば分かります。
この世界で、一番初めに「安息」を持たれたのは、主なる神様です。
主は「すべてのわざ」を「やめられ」ました。
それは「意図的に」やめられたのです。世界が完成して「することがなくなったから」ではありません。主は「今に至るまで働いて」おられる方です。
すべてのわざをやめられたとは「安息することを選ばれた」ということです。
主は「この日」を「聖なるもの」とされました。つまり「区別された」のです。
「この日」は「他の日とは違うことをしよう」と取り分けられたのです。
主は「安息」されました。
そして、それは「思い起こす」ためです。
主は、今までのみわざを思い起こされました。
主は、ご自身の創造された美しい空をご覧になりました。海をご覧になりました。
空を飛ぶ鳥たち、海の中を泳ぐ魚たち…
陸には緑の草が生え出て、動物たちの鳴き声がします。
そして、主の最高傑作である人がトコトコと歩いているのです。主は、地のちりで造ったアダムを見て楽しまれます。もしかすると、地に降りてアダムと何か会話をされたかもしれません。
安息日とは「そういう日」です。
私たちは「曜日」に縛られることはありません。いつであっても「安息」を持つことができます。
イエス様が「寂しいところ」で一人で祈っておられたように、私たちも「一人で静まる時」を持つことが必要です。
「区別された時」を意図的に持ちましょう。隠れた場所に行きましょう。主と過ごす「時」を聖別する(取り分ける)と決意しましょう。
そこで「思い起こす」のです。主のみわざのすべてを思い起こすのです。
主に語りかけなさい。主がしてくださったすべてのことを、主と語り合うのです。
何よりも、十字架の御業を思い起こし、主イエスの御業をほめたたえるのです。
「安息日」は「聖別されたもの」つまり「意図的に取り分けられたもの」でなければなりません。
私たちは「安息」を持ちましょう。
「時」を聖別し、すべてのわざを置くと決めなさい。
主の御業を思い起こすために「時」を取り分けなさい。
主と語り合うことを楽しみなさい。
そうすれば、あなたの疲れは消え失せます。生きる力が湧き上がります。
あなたは、主にある「安息」がどのようなものであるかを知るでしょう。
世が与えるものとは違う「真の平安」を体験することができるのです。
私は、主にあって安息することを選びます
主ともに思い起こします
主よ、あなたの御手のわざを覚えます

