No.450 みことばに映る私を受け入れます

花と光

出エジプト38:8
また、青銅の洗盤を、また青銅でその台を作った。会見の天幕の入り口で務めをした女たちの鏡で、それを作った。

それは、鏡から作られたのです

青銅の洗盤は、祭司たちが身を清め洗うためのものです。

洗盤は、幕屋と祭壇の間に置かれました。だれでも、聖所に入って奉仕をする者はそこで水を浴びなければなりません。

洗盤を無視して、身を洗わずに聖所に入ることは絶対にできないのです。

洗盤には水が張られました。それは、身を清めようとする者の姿を映しだしたことでしょう。

この洗盤が「女性たちの鏡」から作られたと、わざわざ記されているのは興味深いことですね。

当時の鏡は青銅で作られていたのです。

いつの時代も女性たちは「身なり」に気を配っていたということですね。

全員ではないでしょうが、多くの女性にとって「鏡」は、とても大切なものです。当時の女性たちにとっても、それは大切なものであったでしょう。また、青銅は貴重なものでもありました。

しかし、彼女たちは「大切で貴重な鏡」を洗盤を作るためにささげたのです。

自分の鏡をささげた女性たちは、自分の外見を映す術を失いました。

彼女たちは「自分を自分で見る」ことをささげたのです。

彼女たちのささげた鏡は「聖所に入るために必要不可欠なもの」を作るために用いられたのです。

私たちも、聖所に入る前には「祭壇を通り」「洗盤で身を洗う」必要があります。

「洗盤の水」は、みことばの象徴です。

みことばは、私たちを映す「鏡」であり「身を洗う水」です。

私たちは、まず「自分の鏡」をささげましょう。

「自分で自分を見る」ことをやめるのです。

私たちは「みことばに映る自分」を見なければなりません。

主は言われます。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い」

主の目に映るあなたを見なさい。

毎日、自分に「私は高価で尊い」と言いなさい。

まず、あなたは「神の目には高価な宝であり、祭司である自分」を受け入れなければなりません。

その後で、身だしなみを整えるのです。

「高価で尊い」あなたに「汚れ」はふさわしくありません。「汚れ」は、日々、見つかるかもしれません。しかし、落ち込むことはありません。

「汚れ」を見つけたならば「洗え」ばよいのです。

Ⅰペテロ3:4
むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人を飾りとしなさい。それこそ、神の御前で価値のあるものです。

神の目に「高価で尊いあなた」にふさわしい飾りは「柔和」と「穏やか」です。

主が、用意して下さった「飾り」のみを身に着ければよいのです。

「みことば」は、私たちの洗盤です。

主のみことばを受け留めます
私は高価で尊い者です
私に汚れはふさわしくありません