Ⅱコリント5:7
私たちは見えるものにはよらず、信仰によって歩んでいます。
見えないものこそ現実です
信仰生活というのは見えないものによって歩くことです。
「見えないもの」「霊的な領域」をいくら無視して「見えるもの」だけで生きていこうと決めても「見えないもの」はなくなりません。むしろ「見えないもの」こそ確かで永遠に続くのです。
私たちは見えないものに目を留めるのです。
それは、現実逃避することではありません。「目で見えているこの世界」より「目に見えない神の国」の方がよっぽど現実です。
私たちの希望はすべて「目に見えないもの」ではありませんか。私は「見えない望み」を失ったら歩くことはできません。「見えないもの」があるからこそ生きていく「望み」があるのです。
信仰とは「目に見えないものを確信させるもの」です。
覚えてください。
「見えているものがすべて」ではないのです。あなたが見ている世界が「すべてではない」のです。
死は終わりではないし、墓は終着点ではありません。
外側は衰えたように見えても、内なる人は新しいのです。
「何もない」ことは「何もできない」ことではないし、「弱さ」は「敗北」ではありません。
私たちには「不滅で目に見えない神」がおられるのです。
私たちには、目には見えないけれども天上にあるすべての霊的祝福が注がれているのです。
見えないものによって歩くために信仰が必要なのです。
信仰は、「望み」を保証するものです。そして、信仰者とは見えないものを確信して生きる人のことです。
私は見えないものに目を留めます。
私は信仰によって歩みます。
不滅で目に見えない唯一の神をほめたたます。