Ⅰペテロ5:6
ですから、あなたがたは神の力強い御手のもとにへりくだりなさい。神はちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。
神の御手の下に入ることです
「あなたがたは神の力強い御手のもとにへりくだりなさい」とペテロが言うとき、それは「文字通り」です。つまり、私たちは「神の御手の下」に入るべきなのです。
多くの人が誤解しています。
「へりくだる」とは、周囲の人に「ペコペコ」「へこへこ」することではありません。
「ペコペコ」頭をさげて「へこへこ」と調子を合わせても、「神のちょうど良い時」に高く上げられることはありません。世の中の形にはまって、世の中の出世コースに乗ることができたとしても、神の御国のコースからは外れます。
「神の御手のもとにへりくだる」とは、言い換えると「神を待ち望む」ということです。
ひたすらに主を待ち望むことです。
待ち望むことは「弱い」ならばできません。待ち望むためには「心を強く」する必要があります。
多くの人は「へりくだる」ことは「弱くなる」ことだと勘違いしています。
「へりくだり」とは、何でも他の人を優先して、自分の意見は控えめにして、優しそうに「ふんわり」とほほ笑むことだと思っているのです。
聖霊の預言者と呼ばれるエゼキエルは、反逆の家、つまり「イスラエルの民」に遣わされました。
エゼキエルは「ダイヤモンドのように硬い額」を与えられます。それは「イスラエルの民」に立ち向かうためです。彼らに「へこへこ」「ペコペコ」しないためです。彼らに同調しないためです。
エゼキエルは、主の言われることをすべて理解はできなかったでしょう。しかし、すべて主の命じられたとおりに行いました。
イスラエルの人々は「あいつは、いったい何をしてるのか?」と思ったことでしょう。「変わった人だ」「預言者のことは理解できない」などと思われたでしょう。
それでも、主の命じられたことを行ったのです。
何が起こっているのか理解できなくても、なぜここに置かれているのか納得できなくても、それでも、今、主に命じられたことを黙って行うこと、それが「主の御手のもとにへりくだる」ということです。
さあ、しっかり立ちましょう。
主が、心を強くしてくださいます。
私たちは「世の中に調子を合わせる」必要はありません。主の力強い御手の下に入りましょう。
顔を上げて、堂々としていましょう。主の栄光が、必ず、あなたの上に輝きます。
何と言われても、主に従うことを選びましょう。どう思われるかを気にしてはなりません。
主は必ず「ちょうど良い時に」あなたを高くあげてくださいます。それまで、心を強くして、ただ、主を待ち望みましょう。
主が、必ずちょうど良い時に高く上げてくださいます
私の心を強くしてください
私は主を待ち望みます