ヘブル12:2
信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の右の座にい着座されたのです。
イエス様の目の前には喜びが置かれていました
イエス様は「辱めをものともせずに十字架を忍んで」くださいました。
十字架の苦しみ、御父との断絶を耐え忍んでくださいました。どうしてイエス様は耐え忍ぶことがお出来になったのでしょう。
それは「ご自分の前に置かれた喜び」のゆえです。
イエス様は苦しみの最中、その苦難をご覧になっていたのではないのです。
イエス様は苦しみの先の「喜び」を見ておられたのです。
その喜びとは何でしょう。
イエス様の喜びとは、私たちが義されることです。その打ち傷によって私たちが癒されることです。
その苦しみが私たちに平安をもたらすことを知っておられたので、主は十字架を忍んでくださったのです。
なぜ、不平不満を言うのでしょう?
なぜ、喜びを失っているのでしょう?
なぜ、自分はもうダメだと思っているのでしょう?
なぜ、心配して平安を失っているのでしょう?
イエス様は、私たちが罪赦され喜びにあふれて生きる姿を見ながら十字架を忍ばれたのです。
心配して怯えて、不安に押しつぶされている姿を喜んではおられません。
私たちは、イエス様から目を離してはなりません。この方が成し遂げてくださったことを忘れてはなりません。
イエス様は、あなたが喜びにあふれ平安に満たされて歩むことを望んでおられます。
そのために十字架を忍んでくださったのです。イエス様の喜びを奪ってはなりません。
あなたが救いの喜びに輝き、平安の中を歩むことこそ、イエス様の前に置かれた喜びなのです。
私はイエス様から目を離しません
私は、主の喜びです
主は、私のすべてです