2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

No.524 詩篇73篇その② 神の聖所に入るなら「悟り」ます

聖書と栞ひも

詩篇73:17
ついに私は、神の聖所に入って 彼らの最期を悟った。

アサフには空しさがありました

アサフは言います。

詩篇73:15
もしも私が「このままを語ろう」と言っていたなら きっと私は あなたの子らの世代を 裏切っていたことだろう。

もしも、自分の心に満ちていることを、すべて語ったならば、聞く人を「つまずかせてしまうだろう」とアサフは言っているのです。

彼の心には「暴言」が満ちていたのかもしれません。アサフは、当時の賛美リーダーです。主の臨在の箱の前で賛美を指揮していたのです。いつも賛美の中にいたアサフにも「人には聞かせられない言葉」があったのだと思うと少し安心しますね。

しかし、この「苦み」はアサフにとって深刻な問題でした。彼は、信仰から足を滑らせかけるほどに「苦悩」していたのです。

「ねたみ」「そねみ」「苦々しい思い」は、人をむしばみ苦しめます。そして、ついには「無気力」が心を覆うようになるのです。

悪者は、悔い改めはしません。よい行いをしようと心がけません。

聖徒は、苦々しい思いを持ったことで「心を痛め」ます。「罪悪感」を持つこともあるでしょう。愛しにくい人であっても「祝福します」と祈るでしょう。

しかし、それでも悪者は変わりません。

そのようなことが続くと、私たちの心には「空しさ」が芽生えるのです。

「こんな祈り、無駄だったな」と思います。

「やっても認めてもらえないしね」と思います。

「どうせ」「やっぱり」「ほらね」と心が期待することを拒否するようになるのです。

アサフも、そのような状態に陥りました。彼も、自分を清く保ったのは「ただ空しい」ことだったと思ったのです。

詩篇73:13
ただ空しく 私は自分の心を清め 手を洗って 自分を汚れなしとした。

アサフの心は「空しさ」で覆われました。何にも「意味」を見出せません。

しかし彼は、それでも「理解しよう」と努めたのです。

詩篇73:16
私は このことを理解しようとしたが それは 私の目には苦役であった。

何が起こっているのかを「頭」で理解しようとしても無駄です。

アサフは、最も賢明な方法を選びました。

詩篇73:17
ついに私は、神の聖所に入って 彼らの最期を悟った。

私たちは「頭」で理解することはできません。

しかし「心」で悟ることができます。

「神の聖所」に入るなら、私たちも「彼らの最期」を悟ることができるでしょう。

大切なことは「神の聖所」に入ることです。

そうすれば、私たちの「空しさ」は解決します。

主に仕えることは、決して「空しく終わる」ことがないと悟るようになります。

静まって、ただ御前にひれ伏しましょう。

ただ「主の御声」だけを聞きましょう。

そうすれば「理解を超えた悟り」が必ず与えられます。

主よ、私の空しさを解決してください
主の御前に静まります
主よ、お語りください