詩篇73:17
ついに私は、神の聖所に入って 彼らの最期を悟った。
アサフには空しさがありました
アサフは言います。
もしも、自分の心に満ちていることを、すべて語ったならば、聞く人を「つまずかせてしまうだろう」とアサフは言っているのです。
彼の心には「暴言」が満ちていたのかもしれません。アサフは、当時の賛美リーダーです。主の臨在の箱の前で賛美を指揮していたのです。いつも賛美の中にいたアサフにも「人には聞かせられない言葉」があったのだと思うと少し安心しますね。
しかし、この「苦み」はアサフにとって深刻な問題でした。彼は、信仰から足を滑らせかけるほどに「苦悩」していたのです。
「ねたみ」「そねみ」「苦々しい思い」は、人をむしばみ苦しめます。そして、ついには「無気力」が心を覆うようになるのです。
悪者は、悔い改めはしません。よい行いをしようと心がけません。
聖徒は、苦々しい思いを持ったことで「心を痛め」ます。「罪悪感」を持つこともあるでしょう。愛しにくい人であっても「祝福します」と祈るでしょう。
しかし、それでも悪者は変わりません。
そのようなことが続くと、私たちの心には「空しさ」が芽生えるのです。
「こんな祈り、無駄だったな」と思います。
「やっても認めてもらえないしね」と思います。
「どうせ」「やっぱり」「ほらね」と心が期待することを拒否するようになるのです。
アサフも、そのような状態に陥りました。彼も、自分を清く保ったのは「ただ空しい」ことだったと思ったのです。
アサフの心は「空しさ」で覆われました。何にも「意味」を見出せません。
しかし彼は、それでも「理解しよう」と努めたのです。
何が起こっているのかを「頭」で理解しようとしても無駄です。
アサフは、最も賢明な方法を選びました。
私たちは「頭」で理解することはできません。
しかし「心」で悟ることができます。
「神の聖所」に入るなら、私たちも「彼らの最期」を悟ることができるでしょう。
大切なことは「神の聖所」に入ることです。
そうすれば、私たちの「空しさ」は解決します。
主に仕えることは、決して「空しく終わる」ことがないと悟るようになります。
静まって、ただ御前にひれ伏しましょう。
ただ「主の御声」だけを聞きましょう。
そうすれば「理解を超えた悟り」が必ず与えられます。
主よ、私の空しさを解決してください
主の御前に静まります
主よ、お語りください

