No.395 「約束してくださった方は真実です」と告白します

黄色い車と夕日

ヘブル10:23
約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。

動揺しないで告白し続けようではありませんか

私たちは多くの場合「動揺しやすい者」です。

聖書は「神はとこしえの岩」であると何度も強調しています。

それは、人が「揺り動かされやすい者」であるからです。

動揺しないために必要なことは「約束してくださった方は真実である」と確信することです。

私たちはなぜ「動揺してしまう」のでしょう。

それは、「揺れ動くもの」に目を留めているからです。

私たちが「揺れ動くもの」に目を留めているかぎり「動揺」は続きます。

「今日の私」は、なかなか「良い具合に生活できた私」です。しかし「明日の私」は、とんでもなくイライラして「出来の良くない私」かもしれません。

もし「約束の成就」が、「私」にかかっているとしたら、私は激しく「動揺」します。約束が成就するのは不可能だと思います。

もし「約束の成就」が「他の人」にかかっているとしたら、私はその人の一挙手一投足にビクビクして過ごすことになるでしょう。毎日「動揺」して生きることになります。

しかし「約束の成就」は「約束してくださった方の真実」にかかっているのです。

私たちは「動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか」と勧められています。

私たちの「希望」は「約束してくださった方は真実である」と言うことです。

ですから、「約束してくださった方は真実です」と告白するのです。単純明快で簡単なことです。

「もう無理だ」と思う時、誰が約束してくださったのかを思い出してください。

約束してくださったのは「主なる神」です。そして、この方は「真実」なのです。

Ⅱテモテ2:13
私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。

目を留めるべきは「約束してくださった方」です。

信頼すべきは「約束された方の真実」です。

イザヤ26:3~4
志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。
いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。

一心に「主に信頼する人」は「全き平安のうちに守られ」ます。

「主の真実に堅く信頼する人」は「動揺することがない」のです。

「主は、とこしえの岩」です。決して揺れ動くことがありません。

「決して揺り動かされない方」に目を留め続けるなら、私たちは「動揺せずに」歩むことができます。

「約束してくださった方は真実な方です」

私たちは、しっかりと希望を告白し続けましょう。「告白」は「し続ける」べきものです。

ヘブル10:23
約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。

主は「真実な方」です
主よ、いつまでも信頼します
私は、約束してくださった神をほめたたえます