【Ⅱコリント1:20】
神の約束はことごとく、この方において「はい」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。
ことごとくと言われます
神の約束は、ことごとく「はい」となります。
しかし、私たちは自分に与えられた約束がすべて成就され「はい」となってはいないことを知っています。
ある人は、「自分の祈りが弱いから与えられない」と思います。ある人は「自分が告白し続けなかったから与えられない」と嘆いています。ある人は「約束から目を離してしまったので与えられない」と自分を責めます。
もう、そのような考え方からは脱出しましょう。主は常に真実なのです。
「約束」が「はい」とならないのは、私たちが御言葉の大切な部分を見落としているからです。
神がすべてを「与えてくださる」という約束を読むと、私たちは「与えてくださる物」を見てしまいます。また、「素晴らしい事が起こる」という約束が与えられると、それが「起こる事を求める」のです。
まず「物」と「事」から目を離すのです。
イエス様が信仰の創始者なのです。信仰を始められたのはイエス様です。そして、始められた事を完成させるのもイエス様です。
私たちが信じるべきなのは、誤解を恐れずに言うなら「約束」ではなく「約束された方」なのです。
目を離さず見つめ続けるのは「物事」ではなく「完成させる方」なのです。
自分の「祈り」や「行い」を約束の成就の手段としてはいけません。私たちは「従順」でなければなりませんが、約束が成されるのは、主の「真実と恵み」によります。
神の約束は「この方において」ことごとく「しかり」であり「はい」なのです。神の約束は、イエス様によってでなければ決して完成しないのです。
「この方」を信じましょう。「イエス様」だけを見ましょう。
神の約束は、イエス様において必ず成ります。
私たちはただ同意し「アーメン」と言って、主に栄光を帰するのです。
私はイエス様を見つめます。
イエス様を信じます。
約束された方に栄光を帰します。