Ⅱ歴代誌18:31
戦車隊長たちはヨシャファテを見ると、「あれがイスラエルの王に違いない」と思い、彼と戦おうとして取り囲んだ。ヨシャファテが助けを叫び求めたので、主は彼を助けられた。神は彼らを、彼から引き離された。
主に叫び求めると…
ユダの王ヨシャファテは、敵に取り囲まれました。それは、彼が「王服」を着ていたからです。
アラムの軍隊は「イスラエルの王アハブ」とヨシャファテを間違えて取り囲んだのです。
そこには、イスラエルの王アハブの卑怯な作戦がありました。
世の中において「策を企てること」は「賢いこと」です。
確かに「計画すること」は大切です。しかし、私たちは「自分で自分を守るための策略」を練る必要はないのです。
イスラエルの王アハブは「賢い人」です。自分のいのちを守るためなら「王服」を脱ぐこともできるのです。
一方のヨシャファテは、なんだか「お人好しの印象」を受ける王様です。戦いに「参加して欲しい」と頼まれたあげく「利用」されて、今やアハブ王の代わりに標的にされ取り囲まれているのです。
ヨシャファテは「画策」できる人ではありませんでした。「賢い人」ではなかったかもしれません。
しかし、ヨシャファテは「助けを叫び求める」ことのできる人でした。その叫びを聞いて「主は彼を助けられた」のです。
一方、画策したアハブ王はどうなったでしょうか。
イスラエルの王アハブは「狙われていた」わけでもないのに「矢に射抜かれた」のです。
名も知らぬ「ある一人の兵士」が「何気なく」放った弓に射抜かれたのです。
アハブの「変装」は、彼のいのちを守るために何の役にも立ちませんでした。
主がもたらされない「人の画策」は「役に立たない」のです。
「画策」できなくても「スマート」に生きられなくても「助けて」と叫ぶことができるなら、あなたは幸いです。どう思われるか、無様に見えはしないかと気にするのはやめなさい。
王服を脱いではいけません。取り囲まれると分かっていても、聖徒の尊厳を捨ててはなりません。
取り囲まれたなら、大声で叫びなさい。それは聖徒の尊厳を損なうことにはなりません。それは、神の栄光を現わすことです。
あなたの叫びに、主は必ず答えてくださいます。
主よ、助けてください
私は、ただあなたに叫び求めます
主よ、私はあなたを呼び求めます

