No.303 神の豊かな恵みによって贖われました

豊かな花

エペソ1:7
このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。

身代金とはキリストの血です

キリストにあって「私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けて」いると聖書は言います。

「贖い」という概念には様々な意味が含まれていますが、この箇所に使われている原語の本来の意味は「身代金を払って自由にすること」です。

「背きの罪」とは、直訳すると「様々な違反」です。私たちの「様々な違反」は赦されました。神様の戒めに「違反」したことのすべてが赦されたのです。

私たちは、捕らわれの身でした。

エペソ2:1~2
さて、あなたがたは自分の背きの罪の中に死んでいた者であり、かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。

私たちは「背きの罪の中にあり」「空中の権威を持つ支配者」の奴隷として生きていました。

しかし、私たちは解放されました。なぜなら御父が「身代金」を支払ってくださったからです。その「身代金」とは「キリストの血」です。

Ⅰペテロ1:18~19
ご存じのように、あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの尊い血によったのです。

私たちの「身代金」は完全に支払われました。サタンは私たちの「様々な違反」に対して「権利」を主張してきます。「罪を犯した償いをしろ。できなければ、お前は俺様のものだ」と言うわけです。

しかし、覚えてください。

すべては「神の豊かな恵みによること」なのです。

デレク・プリンスという牧師は言いました。「神様は、やり過ぎだ」と。つまり「豊かに支払い過ぎだ」ということです。

イエス様の尊い御血は「たった一滴」であっても全世界を救っただろうとデレク師は言います。しかし、イエス様は「すべての血」を流されたと。

私も、そう思います。私も、イエス様は「すべての血」を流されただろうと信じています。「一滴」であっても尊い神の御子の「御血」が「すべて」流されたのです。

それが「神の豊かな恵み」の証です。

つまり、あなたと私のための「支払い」は十分なのです。全世界の「贖い」のための「身代金」は十分なのです。それは「余りある」のです。主は「十分以上に」血を流してくださいました。

イエス様はご自身の「いのちのすべて」を私たちのために支払ってくださったのです。サタンは「キリストの血」を私たちが持ち出すとき「支払いが十分である」ことを認めざるを得ないのです。

私は「違反」を責め立ててくる敵に対して、怯えたり恐れたりする必要はまったくありません。

しかし、もし、あなたが、もはや不当な敵の訴えに耳を傾けてしまって、罪悪感に打ちのめされているのであるならば…

「主イエスの流された血は私を贖うのに十分だ」と、今すぐ宣言すればよいのです。

私たちの神は「支払い過ぎて」くださいました。それは、あなたが安心して宣言できるためにです。「様々な違反」が多すぎて、もしかすると私のための支払いは「足りない」のではないかと心配することがないようにです。

私たちの神は「豊かな恵みの神」です。それは「余りある恵み」です。

私たちは「キリストにある」のです。それはすなわち「その血による贖い、背きの罪の赦し」を受けているということです。

私たちは「神の豊かな恵み」に信頼して歩むのです。

私は「キリストの血」によって贖われています
イエス様の血によって、すべての背きの罪は赦されました
豊かな恵みを感謝します