詩篇1:2~3
主の教えを喜びとし 昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。
その人は 流れのそばに植えられた木。
時が来ると身をお結び その葉は枯れず そのなすことはすべて栄える。
主のおしえを喜びとします
主の教えを喜びとする人は「そのおしえを口ずさむ人」です。「口ずさむ」とは「思い巡らす」とも訳せます。
幸いな人とは、主のみおしえを常に反芻している人のことです。
みことばを心の中で繰り返し、繰り返し、何度も、何度も思い巡らせます。ときどき、口ずさみながら、じっくりと考えます。
そのような人は「流れのほとりに植えられた木」です。「植えられた」ということは自然に発生した木ではないということです。
主は、私たちが枯れることのないように、流れのほとりに植えてくださったのです。私たちは水が豊かに流れている水路のそばに植え替えられたのです。
イエス様は、私たちに「豊かないのち」を得させるために来てくださいました。いつも落ち込んで、憂鬱で、不安で一杯で、不平不満だらけの人生を歩んで欲しくはないのです。
生き生きと満ち足りて「豊かないのち」を満喫することを願っておられるのです。そのために、私たちをご自身の支配のもとに移してくださったのです。
豊かな水路が、すぐそばに常にあります。主のいのちの川は、いつも満ち満ちています。
みことばを「思い巡らせる」ことは、そのいのちの流れに浸ることです。「口ずさみ」自分の耳に、昼も夜も一日中「みことば」を聞かせる人は幸いです。
その人は、主の「いのち」にあずかります。
「流れのほとりに植えられた木」は枯れません。「流れのほとりに植えられた木」は時が来れば実を結びます。
主のみことばは、私たちを生かす「いのち」に満ちています。私は「豊かないのち」を生きることができるのです。
私はみことばを思い巡らします
私はみことばを口ずさみます
主にいのちが私のうちに満ち溢れます