【1ペテロ1章18節-19節】
ご存じのように、あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちるものにはよらず、子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
高価な代価が支払われました
私たちは、救いはタダ(無料)であって、だれでもタダ(無料)で受けられると言います。
確かに私たちの側から見ればそうであると言えます。救われるためには、何もする必要はありません。
しかし、私は救いはタダ(無料)であるという言い方があまり好きではありません。
救いを私たちの側から見続けても、そこに成長を感じないのです。
救いを神様の視点で見る時、私はそこに大きな感動を覚えます。感謝が溢れます。
神様の御思いを知ることにこそ成長があると信じています。
考えてみてください。
主は、私たちの創造主です。私たちは、もともと「主のもの」なのです。
私たちはサタンに奪われてしまいました。サタンは、主のものであった私たちを自分の奴隷にしてしまったのです。
主は、私たちを買い戻してくださいました。もともと「主のもの」であったのですから、それこそタダ(無料)で取り戻せばよかったでしょう。
しかし、主は「買い戻された」のです。
代価を支払われたのです。
その代価とは、金や銀のような朽ちるものではありません。
何ものとも比べることのできない、唯一無二の御子イエスを差し出されたのです。
私たちは一体どれほど高価なのでしょう?
覚えてください。
子羊のようなキリストの尊い血という代価が支払われたのだということを。
あなたは、神様の目にそれほど高価で尊いのだということを。
何ものとも比べることのできないキリストの血潮が支払われたのです。
それほどの代価を払って買い戻した私たちを今さら手放されることなどあり得るでしょうか。
神様の視点で救いを見るならば、私たちは正しい自分の価値を知ることができるのです。
そして、自信をもって今日を歩むことができるのです。
天の父は私を、代価を支払って買い取られました。
私はイエス様の尊い血によって贖われました。
主は、決して私を見放さず、見捨てられません。