No.434 信仰によって「主と一つである」と宣言します

子羊イエス

ヨハネ6:57
生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。

主イエスによって生きるのです

「わたしを食べる」とは、主イエスの「肉と血」にあずかることです。

イエス様の打ち傷によって私は癒されました。

イエス様の流された血潮によって私の罪は赦されました。

しかし「食べる」という表現には「それ以上のこと」が含まれています。

私たちは、主イエスを「食べる」必要があります。

私たちが「食べるもの」は、私たちの中に入り「身体の一部」となります。それは栄養となって私たちを生かします。

イエス様が、わざわざ「食べる、飲む」という表現を用いられたのはそのためです。

「わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです」

私たちは、イエス様によって生きているでしょうか。

私たちは「主イエスと一体」となって生きているでしょうか。

「わたしが父によって生きているように」とイエス様は言われます。

御父とイエス様の間にある「深い信頼」と「愛」の関係に、私たちも生きることができるのです。私たちは「主と一つの霊」となるのです。

そのためにこそ、主イエスは「いのち」を捨ててくださったのです。

「主と私は一つ」なのです。聖餐式とは「主のうちにあり、主がうちにおられる」ことの確認です。

聖餐式のパンは、本当に「からだ」に変わるわけではありません。

杯の中の「ぶどうの実からできた飲み物」は、本当に「血」に変わるわけではありません。

しかし、私たちは「主の御体」と「新しい契約の血」にあずかります。

それはただ「信仰」によるのです。そして、信じる者のために「御霊がいのち」を与えてくださいます。御霊と信仰によって「霊でありいのち」となるのです。

ガラテヤ2:20
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。

私たちは「信仰」によって「御体と血」にあずかります。

そして「信仰」によって「キリストが私のうちに生きておられる」と確信するのです。

今、私たちが生きているのは「私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰による」のです。

ヨハネ6:56
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。

私たちは信仰によって、主イエスの「御体と血」にあずかりましょう。

私は「信仰」によって確信します。

私は「主にとどまって」います。

そして、主は「私のうちにとどまって」おられます。

主は、ともにおられます。いえ、それ以上です。

主は「我がうちにおられる」のです。

イエス様の十字架の御業を感謝します
主の御体と血潮にあずかります
私のうちにおられる方は、この世のあの者より強いのです