No.362 「彼一人」従った結果なのです

羊が帰る

イザヤ51:2
あなたがたの父アブラハムと、あなたがたを産んだサラのことを考えて見よ。わたしが彼一人を呼び出し、彼を祝福し、彼を増やしたのだ。

アブラハムを思い見よ

イザヤ51:1
義を追い求める者、主を尋ね求める者よ、わたしに聞け。あなたがたが切り出された岩、掘り出された穴に目を留めよ。

主は言われます。

「あなたがたが切り出された岩、掘り出された穴に目を留めよ」と。

つまりそれは「アブラハムのことを考えて見よ」ということです。

イスラエルは「自然発生」したのではありません。彼らは「切り出された」のです。主が、彼らを祝福し、増やされたのです。

それは「ただ一人」から始まりました。

ヘブル11:8
信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました。

「信仰によって」アブラハムは「従い」ました。

「信仰」には常に「従順」が伴います。従わないなら「信じていない」のです。

主は「彼一人」を呼び出されました。

なぜアブラハムだったのかはわかりません。アブラハム本人にもわからなかったでしょう。

「なぜ」「どうして」という疑問は「従わない理由」にはなりません。

アブラハムは「呼び出された」ので、ただ「従った」のです。

私たちは、アブラハムのことを思い見るとき、神様の「方法」を知ることができます。

主は「彼一人」を呼び出され、祝福され、増やされたのです。主は「従順な一人の人」を通して「偉大なこと」を成されます。

イザヤ51:2
あなたがたの父アブラハムと、あなたがたを産んだサラのことを考えて見よ。わたしが彼一人を呼び出し、彼を祝福し、彼を増やしたのだ。

アブラハムとサラの力が全て失せたとしても、主の祝福は失われませんでした。

むしろ、彼らの力は「失われるべき」であったのです。

何もないことは従わない理由にはなりません。

何もできないことも、何も持っていないことも従わない理由にはなりません。

むしろ、私たちの「何か」など全く必要ではないのです。

どこに行けばよいのか分からないことさえ、従わない理由にはなりません。

主は、いつも「一人の人」に呼びかけられます。

主は、あなたに呼びかけられます。

どうか覚えてください。

あなた「ただ一人」の従順が「偉大な御業の始まり」となることを。

「一人の人の従順」が「大きなことを生む」のです。

「彼一人」が従ったので「地のすべての部族」が祝福されるのです。

「彼一人」の従順によって、主の御業が推し進められたのです。

私たちは「私たちの信仰の父」の道を歩みましょう。

「アブラハムのことを考えて見よ」

主は、アブラハムのように「呼びかけ」に応じる従順な人を求めておられるのです。

私は信じます。

「一人の人」の従順が「星の数ほどの子孫を生み出す」ことを。

私たちは従いましょう。

主が「呼ばれた」ならば応じましょう。

あなたの従順は「祝福され」ます。そして、必ず「増やされ」ます。

主よ、私は信じます
主よ、私は従います
あなたの祝福を宣言します