No.153 私たちには「その先」があります

続く道

Ⅰコリント15:19
もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを置いているなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。

望みはこの地では終わりません

私たちの望みが「この地上のいのち」においてのみであるなら、私たちは哀れな者です。

私たちの期待していることが「地上の人生」のことのみなら、私たちは世界で一番哀れな者です。

「この世」においての成功、不成功だけに目を留めるなら、私たちは哀れな者です。

「死」ですべてが終わってしまうなら、私たちがイエス様に従うのは空しいことです。

Ⅰコリント15:20
しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

イエス様は「初穂」として死者の中からよみがえられました。

「初穂」なのですから、その後に続く「穂」があるのです。

Ⅰコリント15:51~52
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。

私たちは「一瞬のうちに変えられる」のです。私たちは「朽ちないものによみがえる」のです。

それは「私たちの主イエス・キリスト」によって確実なことなのです。

世の中においては「死」は終わりなのでしょう。この世での繁栄がすべてでしょう。期待のすべて、望みのすべては「見える世界」をいかに生きるかということにかかっているのです。

しかし、私たちにとって「死」は終わりではありません。この地上のいのちが尽きても「その先」があるのです。私たちは「永遠」の領域に入るのです。

Ⅰコリント15:58
ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。

「永遠」を見ている人は「堅く立つ」ことができます。地上の出来事に振り回されません。

目の前にある「損得」には揺り動かされません。地上での良いことを必死になって集めることもありません。

地上のいのちは一瞬だということを知っているからです。私たちには「その先」があるのです。

私たちの望みは「永遠の神」ご自身です。私たちの望みは「時」を支配し超越しておられる方にあるのです。

私たちは「この世の先」を見て「今」を生きます。

イエス様がよみがえられたので私もよみがえります。
死は勝利に吞み込まれました。
私は堅く立って主のわざに励みます。