エペソ3:18~19
すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。
主の愛は人知をはるかに超えます
ああ、なんという苦い痛みと悲しみ、私はイエス様に誇らしげに言いました。
「私のことがすべて、あなたのことは無」それでも彼は私を見出され、私は彼を見ました。のろわれた木にかけられて血を流しておられる彼を。
私はものほしげな心で、か弱く言いました。
「私のことは少し、あなたのことも少し」彼のやさしいあわれみ、いやし、助け、満たし、そして自由。それは日々に私を低くしていきました。私はささやいて言いました。
「私のことはもっと少なく、あなたのことはもっと多く」いと高き天よりもさらに高く、海の深みよりもさらに深く…
「主よ、とうとうあなたの愛が勝ちました。私のことは無、あなたのことがすべて。」
セオドール・モノの詩 聖霊の賜物 キャサリン・クールマン著より
キャサリン・クールマン師は、「この詩は私の心の奥底を表している」と言いました。あなたの心の奥底も表しているでしょうか?
私たちは、キリストの愛を本当の意味で知らない時には、平気で「私のことがすべて」と言えるものです。
しかし、キリストの愛の、その広さ、長さ、高さ、深さを知ったならば、もはや平気で「私のことがすべて」とは言えなくなるでしょう。
最初、イエス様の愛をほんの少し知った時、私たちは弱々しく言います。「私のことは少し、あなたのことも少し」
少し成長して、もう少し、主の愛を知った時にはこう言います。「私のことはもっと少なく、あなたのことはもっと多く」
しかし、それでもまだ「私のことはもっと少なく」とは言えても「あなたのことがすべて」と言うことはできません。
パウロは言います。
「人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように」と。それは、私たちが「神の満ちあふれる豊かさにまで、満たされる」ためです。
神の豊かさは、私たちの想像をはるかに超えます。神の川は、くるぶしまでではなく「泳げるほど」に豊かな流れです。私たちが溺れてしまうほど豊かさは満ちあふれているのです。
「私のことはもっと少し」と控えめだとしても、あなたがすべてを手放せないのはナゼでしょう?
何が、あなたをこの世につなぎとめているのでしょう?
今、主の愛の中に静まりましょう。
どうか、今、あなたが、人知をはるかに超えるキリストの愛を知ることができますように。
神の満ちあふれる豊かさに満たされますように。
そうして、誇らしげに告白することができますように。
いと高き天よりもさらに高く、海の深みよりもさらに深く…
「主よ、とうとうあなたの愛が勝ちました。私のことは無、あなたのことがすべて。」
主よ、私のことは無、あなたがすべてです
主よ、あなたの愛が勝ちました
私は神の豊かさに満ちあふれます