Ⅱコリント4:16
ですから、私たちは落胆しません。たとえ、私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
昨日とは違います
なぜ、こんなに憂鬱なのかと思うことがあります。
何も特に変わったこともないのに何もかもが違うようです。
天候のせいなのかと思ったりもしますが、どうもそれだけではありません。
昨日まで燃え上がっていた心が急にしぼんでしまうことがあります。
自分のしていることに自信が持てなくなったり、意義を見失ったり、やる気を失ったりします。
私は時々、主のあわれみが「朝ごとに新しい」のだということを忘れてしまうようです。
私たちは、昨日の祝福では生きられないのです。昨日、どれだけ心を燃やしていても、昨日の燃え残りでは足りないのです。
主は、今日、私を祝福してくださるのです。
私たちは「日々」新たにされています。
昨日は過ぎ去って、今日は、また「新しい」のです。
今日の内なる人は「新たにされて」いるのです。
私は、昨日とは違うのです。
私は、毎日、主を求めます。いえ、毎時間、毎分、毎秒、主を慕い求めます。
私たちは、一瞬、一瞬を選択して生きています。
そこには、常に「いのちの木」が置かれています。
アダムとエバは、「善悪の知識の木」以外は選んでよかったのです。
しかし、私たちは「いのちの木」だけを選びます。
イエス様以外は選びません。
日々、イエス様を選びます。
そこには、いのちがあります。
私の憂鬱は、この方によって消し去られます。
日々、求めましょう。
「朝ごとに新しい」あわれみを。
日々、内なる人が新たにされていることを感謝します。
今日の私は、昨日の私とは違うのです。
主とともに新しい日を歩きましょう。
主よ、新しい朝を感謝します。
私は、昨日の私とは違います。
内なる人は、日々、新たにされています。