ガラテヤ6:15
割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。
新しい人として歩みます
律法は「良いもの」です。しかし、律法によって救いを得ることはできません。
律法は、私たちに「良い事」を教えてくれますが、それに従えなければ、そこから得られるのは「罪悪感」だけです。
私たちの「古い人」は、外側から与えられる「律法(戒め)」に導かれて歩んでいました。
「こうでなければならない」「あれをしなければならない」と、律法は絶えず命令してきます。
「外側」から来る命令は、私たちを疲れさせるだけです。古い人は「律法の要求」に答えることができないからです。。
しかし、イエス様の十字架によって、私たちの「古い人」は死んだのです。
今、私たちは「新しく創造された者」として、ここに生かされているのです。
「新しい人」は、外側から来る律法に導かれてはいません。つまり、私たちは「律法の指図」を必要としないのです。
神の子とされた者はみな、「御霊に導かれて」歩みます。
私たちは、もはや「律法」によって裁かれることはありません。なぜなら「律法の要求」を完全に満たされた方が「私のうちに生きておられる」からです。
外側から、あなたを責め立てる声に耳を傾けてはなりません。罪悪感から生じる「偽の内なる声」にも耳を貸してはなりません。
「あれもできていない、これもできていない」
「計画を立てても続かないじゃないか」
「なぜ、もっと良い人になれないのか」
「なぜ、もっと頑張れないのか」
それらの責め立てる声は「敵のもの」です。
たとえ、敵の責め立てる声が「本当のこと」を語っていたとしてもです。
確かに、それが図星なので、私たちは耳を傾けてしまうわけです。
覚えてください。そして、決して忘れないでください。
キリスト・イエスにある私たちが罪に定められることは「決して」ないのです。
なぜなら、今、私のうちに生きておられるのは「キリスト」だからです。
私のうちにおられるイエス様は「完全な方」です。私たちには、今すでに「キリストの義」が与えられているのです。
「いつか」ではなく「今すでに」キリストにあって義人なのです。
「できなかったこと」に目を留めるのはやめなさい。
「できそうにないこと」を見て思い煩う必要もありません。
「やらなければならない」と自分を縛りつけてはなりません。
すべてを「完了した方」を思いなさい。
「正しい事」ではく「正しい方」に目を向けるのです。
大事なのは「新しい創造」です。
大事なのは、あなたが「新しく造られた者」だということです。
「古い人」のように歩んではなりません。
古いものは過ぎ去りました。
今、生きているのは「新しい人」です。
私は、新しく造られた者です
今、私のうちにキリストが生きておられます
私のうちにおられる方は、完全なお方です

