2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

No.502 大事なのは「新しい創造」なのです

朝日を歩く

ガラテヤ6:15
割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。

新しい人として歩みます

律法は「良いもの」です。しかし、律法によって救いを得ることはできません。

律法は、私たちに「良い事」を教えてくれますが、それに従えなければ、そこから得られるのは「罪悪感」だけです。

私たちの「古い人」は、外側から与えられる「律法(戒め)」に導かれて歩んでいました。

「こうでなければならない」「あれをしなければならない」と、律法は絶えず命令してきます。

「外側」から来る命令は、私たちを疲れさせるだけです。古い人は「律法の要求」に答えることができないからです。。

しかし、イエス様の十字架によって、私たちの「古い人」は死んだのです。

今、私たちは「新しく創造された者」として、ここに生かされているのです。

「新しい人」は、外側から来る律法に導かれてはいません。つまり、私たちは「律法の指図」を必要としないのです。

神の子とされた者はみな、「御霊に導かれて」歩みます。

私たちは、もはや「律法」によって裁かれることはありません。なぜなら「律法の要求」を完全に満たされた方が「私のうちに生きておられる」からです。

外側から、あなたを責め立てる声に耳を傾けてはなりません。罪悪感から生じる「偽の内なる声」にも耳を貸してはなりません。

「あれもできていない、これもできていない」

「計画を立てても続かないじゃないか」

「なぜ、もっと良い人になれないのか」

「なぜ、もっと頑張れないのか」

それらの責め立てる声は「敵のもの」です。

たとえ、敵の責め立てる声が「本当のこと」を語っていたとしてもです。

確かに、それが図星なので、私たちは耳を傾けてしまうわけです。

覚えてください。そして、決して忘れないでください。

ローマ8:1
こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

キリスト・イエスにある私たちが罪に定められることは「決して」ないのです。

なぜなら、今、私のうちに生きておられるのは「キリスト」だからです。

私のうちにおられるイエス様は「完全な方」です。私たちには、今すでに「キリストの義」が与えられているのです。

「いつか」ではなく「今すでに」キリストにあって義人なのです。

「できなかったこと」に目を留めるのはやめなさい。

「できそうにないこと」を見て思い煩う必要もありません。

「やらなければならない」と自分を縛りつけてはなりません。

すべてを「完了した方」を思いなさい。

「正しい事」ではく「正しい方」に目を向けるのです。

ガラテヤ6:15
割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。

大事なのは「新しい創造」です。

大事なのは、あなたが「新しく造られた者」だということです。

「古い人」のように歩んではなりません。

古いものは過ぎ去りました。

今、生きているのは「新しい人」です。

私は、新しく造られた者です
今、私のうちにキリストが生きておられます
私のうちにおられる方は、完全なお方です