No.53 「恵み」を忘れると近視眼になります!

目の検査の写真

詩篇6:9
私の目は苦悶で衰え
私のすべての敵のゆえに弱まりました。

ダビデの目は衰えました

ダビデの目は苦悶で衰えたのです。そして、ダビデの目は敵のゆえに弱まったのです。

「苦悶」とは新改訳第三版では「いらだち」と訳されています。

ダビデには敵がいました。そして、そのため「苦しみ悶えて」「いらだって」いました。

ダビデは自分の「苦しみ」を見ました。そして、それをもたらす「敵」を見ました。ダビデの中で「いらだち」が大きくなりました。そして、ダビデの目は「衰え」「弱って」いったのです。

「苦しみ」「いらだち」を覚えるとき、私たちの「霊の目」は「衰え」「弱る」のです。「霊の目」が弱ると、「見えないもの」を見ることができなくなります。

Ⅱコリント5:7
私たちは見えるものによらず、信仰によって歩んでいます。

「霊の目」が弱ると「信仰」によって歩めなくなります。「見えるもの」によって歩むことになります。そうすると、私たちの「苦しみ」「いらだち」は、ますます大きくなってしまいます。

Ⅱペテロ1:9
これらを備えていない人は盲目です。自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまって、近視眼的になっているのです。

霊の目が近視になる理由は、「自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまった」からだとペテロは言います。

それは、つまり「恵み」を忘れてしまったということです。

詩篇6:4
主よ 帰ってきて
私のたましいを助け出してください。
私を救ってください。
あなたの恵みのゆえに。

「あなたの恵みのゆえに」とダビデは祈りました。「見える現実」を変えようと画策するのではなく、「見えない主の恵み」にすがって祈ったのです。ダビデは「霊の目」を回復する方法を知っている人でした。

エペソ2:8
この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなた方から出たことではなく神の賜物です。

私たちは恵みのゆえに救われました。私たちの罪はイエス様の血潮によってきよめられたのです。行いによるのではありません。「恵み」のゆえに信仰によって救われたのです。

「恵み」を忘れるとき、私たちの目は衰えて弱ります。自分の以前の罪がどのようにしてきよめられたのかを忘れてしまうとき、私たちは近視眼となるのです。

主の恵みを覚えて告白しましょう。主の良くしてくださったことを忘れてはなりません。

主の恵みを見つめるなら、私たちは信仰によって歩めます。「見えるもの」に振り回されず「見えないもの」によって歩むことができるのです。

詩篇103:2~5
我がたましいよ 主をほめたたえよ
主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は あなたのすべての咎を赦し 
あなたのすべての病を癒やし
あなたのいのちを穴から贖われる。
主は あなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ
あなたの一生を良いもので満ち足らせる。
あなたの若さは 鷲のように新しくなる。

私は、主をほめたたえます。
主の十字架の御業を永遠に感謝します。
主の恵みのゆえに救われました。
私は恵みを覚えて信仰によって歩みます。