【詩篇62:5】
私のたましいよ 黙って 神を待ち望め。 私の望みは神から来るからだ。神こそ わが岩 わが救い わがやぐら。 私は揺るがされることはない。 私の救いと栄光は ただ神にある。 私の力の岩と避け所は 神のうちにある。
心はいろいろ騒ぐものです
ダビデの周囲には、祝福しているようなふりをして、ダビデを王の座から突き落とそうとしている人々がいたのです。
これは、嫌ですね。「良いこと」を言ってくれる人が、皆、「良い人」ではないというのは認めたくないけれど本当のことです。
ダビデは、周囲の人々を信じることが難しい状況であったと思います。誰が裏切者で、誰が忠臣かを見極めなければ王座が危ないのです。
しかし、ダビデは言います。
ダビデは、まず「たましい」に命じています。
「黙って 神を待ち望め」
ダビデの中にも「策略」は浮かんでいたでしょう。「このようにすれば、王座は安泰だ」という方法を考えていたかもしれません。
私たちは「祈り」の中で「方法」を考えてしまうことがあります。「どうすればいいのか」を考え出して、神様の許可をもらうような祈りをささげてしまうことがあるのです。
「望み」は、私たちの「思い」「考え」「方法」からはきません。
「望み」は「神」から来るのです。
まずは「黙って 神を待ち望む」のです。
心がざわついてアチコチに考えが飛ぶのなら命じるのです。
「我がたましいよ 黙れ 静まれ」
そうして、御前に出るなら、主が語ってくださいます。
二度というのは「確かに聞いた」という強調の表現でしょう。
たましいを静めたダビデは「神の告げられた」ことを聞いたのです。
「力は神のものである」と主は告げられたのです。
それは、当然のことのように思えます。
しかし、「二度聞いた」とダビデは確信をもって言います。
主があなたに告げられたことは特別な確信をもって心に刻み付けられます。
周囲の裏切者をどうするか、どのように王座を守るかは、もはや問題ではありません。
それは「力は神のものである」というお告げを確信した瞬間に問題ではなくなります。
周囲の人の言葉に振り回されてはいけません。いろいろな「方法」を語る「たましい」は黙らせます。
主が語られることを聞いてください。
あなたに告げられることに耳を傾けてください。
いつも読んでいる御言葉が「特別に響く」ことがあるでしょう。
それは、あなたに告げられた「みことば」です。
必ず分かります。確信をもって「神が告げられた。私は聞いた」と言うことができます。
どうか、あなたが主の御声を聞くことができますように。そして、確信をもって力強く歩めますように。
私は黙って 神を待ち望みます。
主こそ私の望みです。
どうか御声をお聞かせください。