ユダ11
わざわいだ。彼らはカインの道を行き、利益のためにバラムの迷いに陥り、コラのように背いて滅びます。
その② バラムの迷い
「バラムの迷い」とは「利益のための惑わし」です。
バラムは、神の民イスラエルを「呪ってくれ」とモアブの王から依頼されました。
もちろん「みこころではない」ことは明らかです。主は、「行ってはならない」と言われました。バラムも最初は断ったのです。しかし、モアブの王が提示した莫大な報酬を諦めきることができませんでした。
愛する兄弟姉妹
「利益」で「みこころ」を量ってはなりません。「利益」と「みこころ」を同じ天秤にのせてはなりません。
バラムは、おそらく「自分の人生で、こんなに金銀を得るチャンスは二度とない」と思ったのでしょう。
けれど、覚えてください。
主は、あなたに「それ以上のもの」をお与えになることがお出来になります。それは、確かなことです。
常に「神の国と神の義」を第一にしなさい。そうして、後悔することは絶対にないと私は確信しているのです。
「みこころでないなら止めてください」と祈るのはやめなさい。
あなたの心が「神の国とその義」を求めていないなら、止められても気がつかないでしょうから。
バラムを見てください。
彼は、ロバが話しだすまで、御使いが道をふさいでいることに気がつきませんでした。主は、バラムを止めておられたのです。その後、主は彼の「思いのまま」に行くことを許されます。しかし、彼の口は支配されイスラエルを呪うことはできませんでした。
結果として「祝福した」のだから「みこころにかなったことをした」と思いますか。主は、バラムを止められたのだから「私も止めてくださる」と思いますか。
いいえ、バラムの迷いは続きます。その心のうちは「利益」でいっぱいのままです。主が、バラムの口を支配されたのは「イスラエルのため」であってバラムのためではないのです。
バラムは、モアブの王に「知恵」を与えます。彼は「呪うことができないならば堕落させればいい」と教えたのです。
つまずきを置く者は「わざわい」です。バラムは、自分の利益のために「人をつまづかせた」のです。その結果、一日に二万人以上のイスラエルの民が倒れました。
「損」か「得」かで生きてはなりません。それは、聖徒の生き方ではないのです。
聖徒には「損」することなどないことを覚えてください。
私たちの主は、ご自分のいのちを死に渡されました。何の罪もないのに身代わりに死なれたのです。世の中の基準で言えば「大損の人生」ではないですか。
しかし「死」は終わりではありません。敗北に見えた十字架は「勝利のしるし」となりました。一粒の麦は地に落ちて「豊かな実」を結ぶのです。
主の御手にゆだねなさい。「損」に見えても動揺してはなりません。「得」に見えても固執してはなりません。
ただ「神の国と神の義」だけを第一にしましょう。
そうすれば「バラクの迷い」に陥ることはありません。
主よ、私の幸いはあなたです
私は神の国とその義を求めます
みこころだけに従います

