No.432 なぜ、叫ぶのか「前進」するように言えと命じられます

海を渡る

出エジプト14:15
主はモーセに言われた。「なぜ、あなたがたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの子らに前進するように言え。

黙って、ただ前進するのです

イスラエルは追いつめられていました。

前には海がありました。後ろにはエジプト軍が追い迫っています。

これこそ「絶体絶命」という状態でしょう。

出エジプト14:10
ファラオは間近に迫っていた。イスラエルの子らは目を上げた。すると、なんと、エジプト人が彼らのうしろに迫っているではないか。イスラエルの子らは大いに恐れて、主に向かって叫んだ。

イスラエルは「主に向かって叫んだ」と記されています。

これは「喉から血が出るぐらいの大声で叫んだ」という意味です。

彼らは、喉が裂けるぐらいの勢いで叫んだのです。恐怖のあまり絶叫したということです。

そのようなイスラエルの民に対して、モーセは力強く宣言します。

出エジプト14:13~14
モーセは民に言った。「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、今日見ているエジプト人をもはや永久に見ることはない。主があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。」

あなたが直面している「恐怖」がどのようなものであれ、怯えて叫び続けてはなりません。

その「恐怖」は必ず消え去ります。

なぜなら「主があなたのために戦われる」からです。

戦いは、常に「私のもの」ではなく「主のもの」なのです。

あなたは「黙っていなければ」ならないのです。

しかし、この場合「黙っている」とは、そこに「ぼんやり立っている」ことを意味しているのではありません。

主は言われます。

出エジプト14:15
主はモーセに言われた。「なぜ、あなたがたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの子らに前進するように言え。

主は、イスラエルに「前進せよ」と言われます。

モーセは「しっかり立って救いを見よ」と言いました。もちろん「しっかり立つ」ことは大切です。けれど、主は、しっかり立つだけでなく「前進せよ」と言われるのです。

つまり「海の方へ歩き出せ」と言うことです。

私たちは「この戦いは主の戦いです」「主が勝利してくださいます」と宣言はします。

「しっかり立とう」と思います。「黙っていよう」と考えます。そして、そこに「ただ立っている」のです。

多くの人は「勝利を得たら前進しよう」と思うでしょう。

私も「海に道ができたら歩き出そう」と考えてしまいます。

しかし、主は「今、前進せよ」と言われるのです。

私たちは「前進」しましょう。

そこに「問題」が依然として立ちはだかっているように見えたとしても…

「この戦いが主のものである」ならば勝利は確実にもたらされます。

後ろに戻ってはなりません。自分の方法をすべて捨てなければなりません。

主が戦われます。

私たちは「前進」しましょう。

そうすれば「海は乾いた地」とされ「水は分かれ」るのです。

「前進」するならば、私たちは「勝利」を見ます。

「前進」するならば、恐怖の原因が断たれ、海に道ができるのを見るでしょう。

私たちは「戦いは主のもの」であると宣言しつつ「前進」するのです。

この戦いは主のものです
私は自分の策略を捨てます
ただ、黙って前進します