出エジプト14:15
主はモーセに言われた。「なぜ、あなたがたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの子らに前進するように言え。
黙って、ただ前進するのです
イスラエルは追いつめられていました。
前には海がありました。後ろにはエジプト軍が追い迫っています。
これこそ「絶体絶命」という状態でしょう。
イスラエルは「主に向かって叫んだ」と記されています。
これは「喉から血が出るぐらいの大声で叫んだ」という意味です。
彼らは、喉が裂けるぐらいの勢いで叫んだのです。恐怖のあまり絶叫したということです。
そのようなイスラエルの民に対して、モーセは力強く宣言します。
あなたが直面している「恐怖」がどのようなものであれ、怯えて叫び続けてはなりません。
その「恐怖」は必ず消え去ります。
なぜなら「主があなたのために戦われる」からです。
戦いは、常に「私のもの」ではなく「主のもの」なのです。
あなたは「黙っていなければ」ならないのです。
しかし、この場合「黙っている」とは、そこに「ぼんやり立っている」ことを意味しているのではありません。
主は言われます。
主は、イスラエルに「前進せよ」と言われます。
モーセは「しっかり立って救いを見よ」と言いました。もちろん「しっかり立つ」ことは大切です。けれど、主は、しっかり立つだけでなく「前進せよ」と言われるのです。
つまり「海の方へ歩き出せ」と言うことです。
私たちは「この戦いは主の戦いです」「主が勝利してくださいます」と宣言はします。
「しっかり立とう」と思います。「黙っていよう」と考えます。そして、そこに「ただ立っている」のです。
多くの人は「勝利を得たら前進しよう」と思うでしょう。
私も「海に道ができたら歩き出そう」と考えてしまいます。
しかし、主は「今、前進せよ」と言われるのです。
私たちは「前進」しましょう。
そこに「問題」が依然として立ちはだかっているように見えたとしても…
「この戦いが主のものである」ならば勝利は確実にもたらされます。
後ろに戻ってはなりません。自分の方法をすべて捨てなければなりません。
主が戦われます。
私たちは「前進」しましょう。
そうすれば「海は乾いた地」とされ「水は分かれ」るのです。
「前進」するならば、私たちは「勝利」を見ます。
「前進」するならば、恐怖の原因が断たれ、海に道ができるのを見るでしょう。
私たちは「戦いは主のもの」であると宣言しつつ「前進」するのです。
この戦いは主のものです
私は自分の策略を捨てます
ただ、黙って前進します