【ヤコブ1:25】
みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で眺める人のようです。
御言葉を聞くことは鏡を見ることです
ヤコブはみことばを聞くことを鏡を見ることに例えています。
御言葉は、私たちを映す鏡なのです。
御言葉をただ聞くだけのものとなってはいけませんとヤコブは言います。
そういう人は自分を欺いているのだとも言っています。
汚れが映し出されても見えないふりをしているのだということです。
私たちは外出する前に鏡を見ます。それは身だしなみを整えるためです。
ソースのシミがついた服は着替えます。
朝ご飯のタマゴの黄身がついた顔は洗います。
外見をそのように整えるなら心の方も整えねばなりません。
御言葉を聞いて汚れが示されたなら洗います。
悔い改め、罪を告白すれば赦されきよめられます。
私たちは毎日、主イエスを着て外出します。
今日も、私ではなくキリストが私のうちに生きておられます。
私たちは心に植え付けられた御言葉を素直に受け入れましょう。
さあ、これで大丈夫です。
準備はできました。
主の祝福と共に出かけましょう。
私はすぐに忘れる聞き手にはなりません。
心に植え付けられた御言葉を素直に受け入れます。
今日もキリストを着て歩みます。