Ⅰヨハネ4:10
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
私たちは「この人」を見ます
御父は、私たちを愛してくださいました。御子イエスは「宥めのささげ物」となってくださいました。
「愛」は常に明らかにされています。神は「愛」を隠してはおられません。
「御子イエス」は群衆の目の前で十字架に架けられたのです。
「ここに愛があるのです」と使徒ヨハネは言います。
私たちは「愛」を探し回る必要はありません。「愛」を求めて彷徨う必要はないのです。
「愛」とは何かと悩む必要もありません。「愛」に満たされるために努力する必要はありません。
騙されてはいけません。
「ここにある愛」から目を離し、何か他のものに「愛」を見出そうとするならば、敵は、あなたに「偽物の愛」を差し出すでしょう。
「情」や「温もり」は、心地よくても「愛」ではありません。
あなたを「心地よく」するものが「愛」なのではありません。
覚えてください。
「神は愛」なのです。「神こそ愛」なのです。
いつでも「ここに愛があるのです」
不法がはびこり、人々の愛が冷え、どこにも「愛」が見いだせなくなっても、それでも「愛」はなくなりません。
神は「不滅」なのです。ゆえに愛も「不滅」です。
この人を見よ この人にぞ
こよなき愛は 現われたる
この人を見よ この人こそ
人となりたる 活ける神なれ讃美歌121番 まぶねのなかに 作詞:由木 康 作曲:安部 正義
自分には愛がないと嘆くなら「この人」を見なさい。
人から心無い言葉をぶつけられたときには「この人」を見なさい。
どこに愛があるのかと心を痛めているのなら「この人」を見なさい。
神が愛ならなぜ、と言いたくなる時は「この人」を見なさい。
この人にこそ「こよなき愛は 現われたる」のです。
さあ、自分から目を離して、あの人からも目を離して「この人」を見なさい。
この世のすべてから目を離して、御父が「宥めのささげ物」として遣わされた方を見なさい。
「ここに愛があるのです」
イエス様の十字架の御業を感謝します
ここに愛があることを信じます
私は御父の愛に満たされています