マタイ6:9
ですから、あなたがたはこう祈りなさい。「天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
ですから、こう祈りなさいと言われました。
主は、まず「天にいます私たちの父よ」と祈りなさいと言われました。
つまり、まずは「天を見上げよ」と言うことです。
「天にいます父よ」と呼びかけながら「下」を向いていることはできません。
「天にいます父よ」と呼びかけるなら、当然、私たちの顔は「上」を向くのです。
「天のことを思う」ことこそ本当の祈りです。
祈りは、私たちの心を「地上のこと」から「天のこと」へ向けるものです。
そうでなくては祈る意味がありません。
拳を握りしめて、地面を叩きながら、熱心に、力強く「地上に心を向けて」祈り続けても、おそらく何の変化ももたらさないでしょう。
「地上のこと」に固執して、ただ自分の思いを「自分の耳に聞かせる」ような祈りに「力はない」のです。
しかし「天のこと」で心を満たすなら、私たちの「地上のこと」は必ず変わります。
天の父は、あなたの「思い」「必要」のすべてをご存知です。それが、あなたの口に上る前から知っておられます。
ですから、あなたの「思い煩い」を1から100まで詳しく話す必要はありません。
まずは「天にいます父」を見上げなさい。
「天のこと」を思いなさい。
主の御名を思い巡らし、主がどのような方か「たましい」に言い聞かせなさい。
御国の支配の中に憩い、その領域の拡大されることを願いなさい。主のみこころを解放しますと宣言しなさい。
私の上には「みこころだけが成ります」と宣言すればよいのです。
そうして、後、「日ごとの糧」を求めるのです。
そのころには、あなたの「心」に変化が起こっているはずです。
このように真実に祈る人は、損をしないように、被害にあわないようにと、こぶしを握り締め、何かに執着して生きていく世の人々とは違います。祈る人は手を開き、自由に生きる完全な自由人です。
祈り 天の扉を開く ハ・ヨンジョ著 DURANNO
サタンは「祈り」を盗みます。あなたの祈り心を「天」ではなく「地」に向けさせます。
もし、あなたが祈りのうちで「混乱」を覚えるならば、その祈りは、おそらく「地上のこと」に捕らわれているのだと思います。「地」に向いた祈りは、祈れば祈るほど「混乱」「束縛」を生じさせます。
そのような時は「祈らなければならないリスト」をわきにおいて、天を見上げて賛美することです。
「天」に向かった祈りは「自由」「喜び」をもたらします。
握った手は開きましょう。そして、手をも心をも、私たちの神に向かって上げましょう。
祈りとは「天にいます父よ」と呼びかけることから始まります。
「天のこと」を思うことこそ「真実の祈り」です。そして「天の父」を思うことこそ「祈りの醍醐味」ではないかと思うのです。
私は天のことを思います
天の父よ、御名をあがめます
私の上には「みこころ」だけが成ることを宣言します