No.81 今、必要なのは「聞く人」です

聞く犬

ハバクク2:1
私は、自分の物見のやぐらに立ち、砦にしかと立って見張り、私の訴えについて、主が私に何を語られるか、私がそれにどう応じるべきかを見よう。

いつまでですかと預言者は叫びます

ハバクク1:2
いつまでですか、主よ。私が叫び求めているのに、あなたが聞いてくだされないのは。「暴虐だ」とあなたに叫んでいるのに、救ってくださらないのは。

ハバククは「暴虐だ」と主に叫んでいました。

けれど、いつまでたっても主は何も答えてくださらにように感じます。

「いつまでですか」と預言者は叫びます。

それに対して、主が見せてくださった幻は恐ろしいものでした。

ハバクク1:5
異邦の民を見、目を留めよ。驚き、たじろけ。わたしは一つの事をあなたがたの時代に行うからだ。それが告げられても、あなたがたは信じない。

それは、驚き、たじろくような事なのです。バビロンが攻めてきて、暴れまわり、破壊し、略奪すると言うのです。

たった今、「いつまでですか」と叫んだハバククに対して、「驚き、たじろくような事を行う」と言われたのです。

私たちも思います。

世の中は、どんどん悪くなっていくように見えると。これからどうなるのか不安になります。ある人は「神が愛ならなぜ?」と言うでしょう。

聖徒であっても、心が揺さぶられ、神様の愛を疑ってしまうようなことが起こります。

「いつまでですか、主よ」と私も叫びたくなります。

ハバクク2:1
私は、自分の物見のやぐらに立ち、砦にしかと立って見張り、私の訴えについて、主が私に何を語られるか、私がそれにどう応じるべきかを見よう。

ハバククは、主に問うのをやめたようです。その代わりに見張ることにしました。

そして、「主が私に何を語られるか」と聞くことにしました。そして「私がそれにどう応じるべきか」悟ることにしました。

私たちも、聞きましょう。

今は「聞く人の時」であると私は思います。つまり「時を悟る人」です。

Ⅰ歴代誌12:32
イッサカル族からは、時を悟り、イスラエルが何をなすべきか知っていた、かしら二百人。その同胞はみな彼らの命令に従った。

神に聞く人は時を悟ります。時を悟る人は、何をなすべきかを知ります。

砦にしっかりと立って、主の語られることを聞きましょう。毎日、見張り台に立つのです。それは、毎日、主ともに世界を見るということです。

今、必要なのは主が何を語られるかを「聞く人」です。

私は主の声を聞きます。
主よ、時を悟り、何をなすべきか示してください。