No.344 わたしの臨在がとも行き、あなたを休ませると言われます

空の下海の上

出エジプト33:14
主は言われた。「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる。」

「どうすれば」の答えは「臨在」です

主は、モーセに「大きな使命」を与えられました。モーセに「イスラエルを約束の地に連れ」て行けと言われたのです。

ヘブル3:2
モーセが神の家全体の中で忠実であったのと同様に、イエスはご自身を立てた方に対して忠実でした。

モーセは「忠実な人」でした。イエス様と対比されるほど「忠実な人」であったと記されています。

忠実であったからこそ、モーセには気苦労も多かったことでしょう。

イスラエルは「うなじを固くする民」と呼ばれています。モーセも彼らを導いていくことの難しさを痛感していたでしょう。

出エジプト33:13
今、もしも私がみこころにかなっているのでしたら、どうかあなたの道を教えてください。そうすれば、私があなたを知ることができ、みこころにかなうようになれます。この国民があなたの民であることを心に留めてください。

モーセは「あなたの道を教えてください」と嘆願しています。平たく言えば「どうすればよいのか教えてください」ということです。

ああ、主よ、どうすればよいのか分からないのです。

あなたの御心を行いたいのです。

私たちが「あなたの民」であることを忘れないでください。

私も、何度このように祈ったか分かりません。主の御心を行いたいと切に望みます。しかし、どうすればよいのか分からないのです。どこに行けばよいのか、何をすればよいのか、まったく分かりません。

この道が「正しい」のだという確信が欲しいのです。「これが道だ、これに歩め」と言うはっきりした「主のことば」が聞きたいのです。

金の子牛を造るなどという失態を犯した民を、自分一人で導いていくなんて「とてもできない」とモーセでも思ったのでしょう。主の与えて下さった使命だから「忠実」に遂行したいと願っているけれど「どうすればよいのか分からない」のです。

出エジプト33:14
主は言われた。「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる。」

主は、モーセに「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる」と言われました。

これが「あなたの道を教えてください」と求めたモーセへの答えなのです。

そしてまた「主の道を教えてください」と切に求めるすべての人への答えです。

主はこれまでも「あなたと共にいる」と約束して下さり、約束の通り「モーセとともに」歩まれました。

しかし、モーセは「その先」があることを知りました。「主の臨在」は、モーセを休ませるのです。モーセは「一人」ではないのです。

「休む」とは「活動を止める」ことです。主の臨在は「安息」をもたらします。主の「臨在」のうちで「活動する」ことはできません。

必要なことは「どうすればよいか」と求めることではなく、「主の臨在」を仰ぐことです。

「主の臨在」を仰ぐならば「どうすれば」は問題ではなくなります。ジタバタすることはなくなります。「主の臨在」を仰ぐならば、その御前に静まることしかできません。

「主の臨在」のうちにいるならば「事」はすでに解決しているとを知るでしょう。主は、私を「休ませ」てくださるのです。

主が「あなたを休ませる」と言われるのですから、私たちは「休み」ましょう。すべてを委ねて「休みつつ」ともに歩けばよいのです。生きるのは、常に「私ではなくキリスト」です。

どこにいても、何をしていても、どんな困難な状況であろうとも「わたしの臨在がともに行く」と主は言われます。

「主の臨在」とともに行きましょう。

主が「わたしの臨在がともに行く」と言われるのです。

「主の臨在」から離れないこと、それだけを切に求めて歩みましょう。

主よ、あなたの臨在を求めます
「一分一秒、」あなたの臨在から離れることがありませんように
「主の臨在」を感謝します