Ⅰサムエル3:10
主が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話ください。しもべは聞いております。」と言った。
エリは最も良いことを教えました。
少年サムエルは、主の御声を聞いたことがありませんでした。
主は、何度かサムエルに呼びかけられましたが、サムエルは、それが「主」であるとは分かりませんでした。
大祭司エリが自分を呼んでいるのだと思ったのです。
エリは自分の息子を躾けることには失敗しました。しかし、少年サムエルのことは正しく導きました。
エリは、ずっと昔、おそらく「主の御声」を聞いたことがあったのだろうと思います。
エリは、サムエルに「最も良いこと」を教えました。
「祈り」とは「主よ、お語りください」と言うことです。
確かに私たちは、主に「願うこと、思うこと」を申し上げます。
そして、たいていの場合「自分の言いたいこと」だけを話して「祈りの時間」を終えてしまうのです。
一方的に、自分の話だけをする人と「友人」になりたいと思いますか?
いきなり訪ねて来て「用件だけ」を告げて帰ってしまう人と「親友」になれますか?
「友」とは「語り合う」ものです。主は、エデンの園で、アダムたちに親しく語りかけておられました。主は「語り合う」ために人を創造されたのです。
覚えてください。
呼びかけておられるのは「主」であることを。
主が、サムエルを呼ばれたのです。主は語るべきことを持っておられたのです。
そして、主は、あなたにも語るべきことを持っておられます。
おそらく、主は日々、語りかけてくださっているのです。
しかし、私たちはなぜか「見当違いの方向」へと走って行ってしまうのです。
呼んでいたのは「エリ」ではありません。サムエルは、いつもエリから指示を受けて働いていたのでしょう。だから「いつも」のようにエリのところに行ったのです。
本当に、主の御声を聞きたいのなら「エリ」のところに行ってはなりません。主の御声を「誰か」や「何か」に求めてはなりません。
聖霊様が「みことば」を示してくださいます。聖書の真の著者は聖霊様なのですから。
私は、主が直接、人に語りかけてくださることを信じています。
しかし、聖書を読むことを怠る人は、その御声を「正しく判断」できないと私は思います。
「主よ、お語りください」と言って、聖書を読む人は幸いです。
主は「語ろう」と待っていてくださいます。主は「語りたい」と望んでおられるのです。
私たちは「聞く」ことを学ばなければなりません。主は「耳を二つ」与えてくださいました。「口は一つ」です。
「祈りのことば」が途切れても「祈りの時間」は続いています。
私たちは「祈りのことば」の「二倍」、「神のことばを聞く」必要があるのです。
「お話ください。しもべは聞いております」
主は、必ず、あなたにも語ってくださいます。
主よ、お話しください
私は、みことばを読みます
どうぞ、みことばを解き明かしてください