No.203 御言葉が用意されていない日などありません

聖書と花

イザヤ41:10
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろくな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。

主は、わたしに語られます

ルーマニアがまだ共産主義国であったときの話です。

ある兄弟が、日曜日に礼拝に行こうとしていました。しかし、その途中、秘密警察に捕まってしまったのです。

彼は、尋問を受けることになりました。そして、その尋問は激しいものでした。

けれど、不思議なことに、その兄弟の心には「平安」と「余裕」があったそうです。

彼は、聖書の学びをしているとき、ある発見をしていました。そのことを思い出したとき、主の守りを確信することができたのです。

彼の発見は、聖書の中に「恐れるな」とう言葉が「366回」記されているということでした。

その事を知ったとき、彼はこう思ったのです。

一年は「365日」です。

「366回の恐れるな」は、「余分な一日」を含んでいるけれど、主は、毎日、恐れるなと言ってくださっているのだと彼は考えたのです。

しかし、主に「余分な一日」などありませんでした。主は「どんな日も恐れるな」と彼に伝えたかったのだと思います。

なぜなら、彼が捕らえられた日は「2月29日」だったからです。その年は「うるう年」でした。つまり、その年は「一年、366日」であったということです。

その兄弟は、まさか「余分な一日」に自分が尋問を受けることになるなんて、思いもしなかったっでしょう。そして、まさか「余分な一日」さえも、主の恵みの中にあるなんて、もっと思いもしなかったでしょう。

どんな日も、どんな時も、主は忘れられることはないのです。主が語りかけてくださらない日、忘れられた一日など、絶対に存在しないのです。

彼は「恐れるな。わたしがあなたとともにいる」という主の語りかけを聞きました。自分が捕らえられた日も、主の御手の中にあることを確信することができたのです。

そうして、彼の心には「平安」と「余裕」が満ち溢れ、彼は尋問を乗り切ることができたのです。

主は、毎日、私たちに語っておられます。

イザヤ41:10
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろくな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。

主が守ってくださらない日など「一日」もありません。

私たちは、主の御言葉を「毎日」聞きましょう。その日に意味は分からなくても心に留めるのです。

いざというとき、必要なことばを聖霊様が思い起こさせてくださいます。

私たちは、日々、御言葉によって生かされているのです。

主の御言葉が用意されていない日など「一日」もありません。主が忘れてしまった日など存在しません。

今日も、主は、私たちの「一日」を気に留めてくださっています。

私たちは、主の御言葉を心に留めて「平安」と「余裕」を持って生きることができるのです。

今日も、主の御手の中にあります
今日も、主が覚えていてくださいます
私は忘れられることがありません