エペソ5:16~17
機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。ですから、愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい。
時について敏感になりたいと思うのです
パウロは「機会を十分に活かしなさい」と言っています。
「機会」とは「ちょうど良い時」「定まった時」とも訳せます。
「天の下」つまり、私たちの生きている世界の「すべての営みには時」があるのです。
終わりの時代を生きる聖徒は、この「時」について敏感であることが求められます。
ある人は「時について敏感であること」とは「時代の流れを読むことだ」と勘違いしています。
確かに、これから世界はどんどん「困難な時代」になっていきます。それは、聖書に書いてありますから、必ずそうなります。
終わりの日に近づいている「しるし」が顕著にあらわれるのだろうと思います。しかし、私たちは「世界情勢」に振り回される必要はありません。
「あれが終わりのしるしか」
「これが大患難の始まりか」
世界で何かが起こるたびに、そのように「振り回される」ことが「時に敏感になること」ではありません。
実際には「本当に時に敏感な人」は、決して振り回されないでしょう。
「時」について敏感であるということは、言い換えると「神のみこころ」について敏感であるということです。
時は「神の御手の中」にあります。すべてのことが「神から発し、神によって成り、神に至る」のです。
「主のみこころ」が何であるのかを知る人こそ「機会を十分に活かせる人」です。
「主のみこころ」が何であるのかを知る人は「悪い時代に振り回され」ません。
イッサカル族のかしらは「時を悟り」何をなすべきかを知っていました。
彼らは「主がサウルの支配をダビデに移された」ことを悟った人々でした。ゆえに「時を悟る」ことができ、ダビデのもとに馳せ参じることができたのです。
機会を十分に活かすためには「主のみこころが何であるかを知る」ことが必要です。
終わりの時代の今、主は「みこころを悟る勇士」を求めておられます。
羊飼いの声をしっかりと聞き分けることのできる羊を求めておられるのです。
パウロは「悟りなさい」と言っています。それは「命令形」です。
つまり、私たちは「悟らなければならない」ということです。
そして、その気になれば「悟ることができる」ということです。
主の御前に出ましょう。
「機会を十分に活かすことができますように。そのために、どうかあなたの御心を悟らせてください」と願いましょう。
主の御声を聞いたなら、一瞬も無駄にしてはなりません。すぐに応じて馳せ参じましょう。
主のみこころを知るならば、私たちは「機会を十分に活かす」ことができるのです。
主よ、お語りください
みこころを教えてください
御声に聞き従います