No.287 まず、主を知り続けることです

大工道具

ヨハネ6:38
わたしが天から下って来たのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。

御父のみこころは永遠のいのちです

ある伝道師の証です。

その伝道師は、一人で開拓伝道に遣わされていました。主に忠実で熱心な人でした。毎日、早天祈祷をし、毎日、熱心にトラクトを配布しました。一日に、一人で二万枚も配ったそうです。けれど、実りはありませんでした。

悲しくなって、母教会に戻って、牧師に相談したと言います。

「先生、私は熱心に仕えています。毎日、何時間も祈っています。トラクトも配っています。こんなことを言うのは申し訳ないのですが、先生は、私ほど祈っておられないし、毎日、兄姉とお茶を飲んで話しておられるだけです。それなのになぜ、救われる人が与えられるのでしょう」

かなり失礼な相談の仕方ですが実話です。本当は、もう少し失礼でした(笑)

実際には、その牧師は、それはよく祈っておられました。それに、忙しく奉仕もしておられました。

しかし、不思議と「ゆとり」があるように見えたのです。

その牧師は笑って答えてくれたそうです。

「主がやれと言われることだけすればいいのです。主が板の四隅に釘を打てと言われたのなら、四隅に四本だけ釘を打てばいいのです。その他のところに何千本の釘を打っても無駄なだけですよ」

イエス様は、お忙しく働いておられました。どこに行っても人々に取り囲まれました。

しかし、お忙しすぎて「イライラ」されることはありませんでした。

どれほどお忙しくても、そこを抜け出し「ひとりで」祈る時間を持たれました。主は、忙しくて「祈る時間もない」とは言われませんでした。

取税人たちと食事をされる「ゆとり」も、ラザロやマルタたちと団らんされる「ゆとり」もあったように見えます。

ヨハネ6:38
わたしが天から下って来たのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。

イエス様は、誰よりも「御父のみこころ」を分かっておられました。

主は、それが「正しいから」行われるのではありません。

主は、それが「人から求められていることだから」行われたのではありません。

イエス様は、地上において「御父のみこころ」だけを行われたのです。

ヨハネ12:50
わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。ですから、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのまま話しているのです。

御父の命令は「永遠のいのち」です。とてもシンプルなことなのです。

そして「永遠のいのち」とは「神を知ること」です。

ヨハネ17:3
永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。

ここで「知ることです」と訳されている語は「知り続けること」と訳すことができます。

そして、それは「知識」だけではなく「体験的に知る」というニュアンスを含んでいます。

私たちは、永遠に知り続けるのです。

この地においても、生かされている限り「主を知る」ことを求めましょう。

それこそ「御父のみこころ」です。

そうすれば、行うべき必要なことが自ずと分かるはずです。

主を知ることを切に求めます
私は主を知り続けます
私は「永遠のいのち」に生かされています