No.121 信仰の告白を堅く保とうではありませんか!

崖の上のペンギン

ヘブル4:14
さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。

神の子イエスという偉大な大祭司のゆえに

「信仰の告白を堅く保とうではありませんか」とヘブル書の著者は言います。

「告白」とは、「同じことを言う」という意味です。私たちの告白は「聖書の御言葉」と「同じ言葉」であるべきです。私たちは「神のことば」に同意して「告白」します。つまり、聖書に書いてあることを「告白」するのです。

私たちは自分の「告白」を理解している必要があります。何となく教えられたから「言っているだけ」では意味がありません。そのような告白は揺れ動くでしょう。

私たちの「告白」は「堅く保たれ」なければならないのです。何となくの告白を堅く保つことなどできません。

私たちの告白は「信仰の告白」です。つまり「信じて」告白するのです。

ヘブル10:23
約束してくださった方は真実ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。

私たちの告白は「約束してくださった方は真実である」ことに立ってなされます。ですから、私たちは動揺せずに告白し続けることができるのです。

「告白を堅く保つ」とは「動揺せずに告白し続けること」です。どんな時も感情に支配されないことです。見えるものによって揺さぶられないことです。

マルタは立派な告白をしました。

ヨハネ11:27
彼女はイエスに言った。「はい、主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストであることを信じております。」

マルタはイエス様を「神の子キリスト」であると告白しました。

しかし、マルタの告白はラザロの墓の前で揺れ動きます。

ヨハネ11:39
イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだラザロの姉妹マルタは言った。「主よ、もう臭くなっています。四日になりますから。」

イエス様を「主」と告白していても、命じられたことを行わないなら、それは本当の意味で「主」としていないのです。その「告白」は「堅く保たれて」はいません。揺れ動いているのです。

私たちの「信仰の告白」は「堅く保たれて」いるでしょうか。状況によって「告白」が揺れ動くようであるなら「堅く保たれて」はいないのです。

主の約束は真実です。神のことばは永遠に立ちます。

私たちは「主よ」と呼びかけながら「それは無理です」とは言えません。なぜなら、御言葉は「神に不可能なことは一つもない」と言うからです。告白は常に御言葉と一致していなければなりません。

私たちは「神の子イエスという偉大な大祭司」を見ます。「約束された方の真実」に目を留めます。

状況や感情で告白を揺り動かしてはなりません。動揺せず告白し続けましょう。

終わりの日が近いと言われる今こそ、ますます大胆に確信を持って「信仰の告白」を堅く保とうではありませんか。

私は「イエスは主です」と告白します。
約束してくださった方の真実に目を留めます。
神には不可能なことは一つもありません。