ヘブル4:14
さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
神の子イエスという偉大な大祭司のゆえに
「信仰の告白を堅く保とうではありませんか」とヘブル書の著者は言います。
「告白」とは、「同じことを言う」という意味です。私たちの告白は「聖書の御言葉」と「同じ言葉」であるべきです。私たちは「神のことば」に同意して「告白」します。つまり、聖書に書いてあることを「告白」するのです。
私たちは自分の「告白」を理解している必要があります。何となく教えられたから「言っているだけ」では意味がありません。そのような告白は揺れ動くでしょう。
私たちの「告白」は「堅く保たれ」なければならないのです。何となくの告白を堅く保つことなどできません。
私たちの告白は「信仰の告白」です。つまり「信じて」告白するのです。
私たちの告白は「約束してくださった方は真実である」ことに立ってなされます。ですから、私たちは動揺せずに告白し続けることができるのです。
「告白を堅く保つ」とは「動揺せずに告白し続けること」です。どんな時も感情に支配されないことです。見えるものによって揺さぶられないことです。
マルタは立派な告白をしました。
マルタはイエス様を「神の子キリスト」であると告白しました。
しかし、マルタの告白はラザロの墓の前で揺れ動きます。
イエス様を「主」と告白していても、命じられたことを行わないなら、それは本当の意味で「主」としていないのです。その「告白」は「堅く保たれて」はいません。揺れ動いているのです。
私たちの「信仰の告白」は「堅く保たれて」いるでしょうか。状況によって「告白」が揺れ動くようであるなら「堅く保たれて」はいないのです。
主の約束は真実です。神のことばは永遠に立ちます。
私たちは「主よ」と呼びかけながら「それは無理です」とは言えません。なぜなら、御言葉は「神に不可能なことは一つもない」と言うからです。告白は常に御言葉と一致していなければなりません。
私たちは「神の子イエスという偉大な大祭司」を見ます。「約束された方の真実」に目を留めます。
状況や感情で告白を揺り動かしてはなりません。動揺せず告白し続けましょう。
終わりの日が近いと言われる今こそ、ますます大胆に確信を持って「信仰の告白」を堅く保とうではありませんか。
私は「イエスは主です」と告白します。
約束してくださった方の真実に目を留めます。
神には不可能なことは一つもありません。