No.405 私は「今日」の分だけを集めて生きます

海と女の子

マタイ6:34
ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日に十分あります。

明日は、明日が心配します

イエス様は「明日のことまで」と言われました。

つまり「あなたがたは、明日のことを心配しているが、そんな余裕があるのか」ということです。

考えてみれば、確かに私の心配事は、たいていの場合「明日以降」のことなのです。

私たちの主は「永遠の神」ですが、この地上での「一日一日」を非常に大事に思っておられます。

イエス様は「日ごとの糧をお与えください」と祈るようにと教えてくださいました。

「日ごとの糧」とは「今日の分の糧」と言うことです。

「明日の糧」ではありません。私たちは「今日の糧」つまり「一日分の糧」を求めて生きるようにと言われているのです。

イスラエルが荒野を旅していた時、主は「天からマナ」を降らせてくださいました。

出エジプト16:4
主はモーセに言われた。「見よ、わたしはあなたがたのために天からパンを降らせる。民は外に出て行って、毎日、その日の分を集めなければならない。これは、彼らがわたしの教えに従って歩むかどうかを試みるためである。」

天からのパンは「毎日、その日の分だけ」を集めなければなりませんでした。

これは「彼らがわたしの教えに従って歩むかどうかを試みるためである」と主は言われます。

イスラエルは、試みられていたのです。それは、一日一日を主だけに頼って生きるかどうかの試みです。

彼らは「その日の分をその日のうちに」食べなければなりませんでした。朝まで残しておいてはならなかったのです。

しかし、ある人たちは言うことを聞かず「朝まで一部を残して」置きました。しかし、その「残しておいた分」には「虫がわき臭くなった」のです。

「明日」を心配するのはやめましょう。「明日のために溜め込んでも」結局それには「虫がわき臭く」なるだけです。今日の分以上のものは「無駄」になるということです。

「明日の分」は、私たちのものではありません。私たちは「今日の分」だけを集めればよいのです。

私たちは「その日の分」を主に求めて生きましょう。

「日ごとの糧」を本気で求めて生きる者とされましょう。

主は、日ごとの求めに応じて「力」を与えてくださいます。

「今日」生きる力を求めましょう。一日一日、ただ主に拠り頼んで歩む者とされましょう。

「苦労」は、今日一日に十分あります。

「苦労」と言う語は「悪」「不道徳」「悪意」「意地悪な心」「災い」などとも訳せます。

確かに、私たちは一日の中で様々な「悪」に出会います。「今日」を生き抜くのもなかなか大変ですよね。

私たちは「今日」を精一杯に生きましょう。一日一日、主にすがって生きましょう。一瞬一瞬、主を求めて歩みましょう。

主は「今日の分」の生きる力を必ず与えてくださいます。「苦労」に耐える「十分なマナ」を与えてくださいます。

私たちに「明日」は分かりません。「明日」は、主の御手にのみあります。

「明日」のことは、それが「今日」になったときに、また求めればよいのです。

明日は、主の御手にあります
私は、明日を心配しません
今日の分の必要は必ず満たされます