マタイ7:22
その日には、多くの者がわたしに言うでしょう。「主よ、主よ。私たちはあなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。」
主は、彼らを知らないと言われます
イエス様は、言われました。
これは、私が聖書の中で最も恐ろしいと思う御言葉の一つです。
「わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。」
このような厳しいことばを突き付けられるなんて「彼ら」は、いったい何をしたのでしょう。
「彼ら」は、イエス様の御名によって、預言を語り、悪霊を追い出し、奇跡を行ったのです。つまり「聖霊の賜物」を用いて大いに活躍したということです。
しかし、それなのにイエス様は「わたしはおまえたちを知らない」と言われるのです。
私たちは、覚えておかなければなりません。
「聖霊」と「聖霊の賜物」とは、区別されるべきであるということを。
つまり、誰かが「聖霊の賜物」を用いているからといって、そこに「聖霊様」がおられるとは限らないということです。
「聖霊」は、賜物を「分け与えられる方」ですが「賜物」そのものではありません。賜物は、あくまで贈り物として与えられるものです。それを用いるのは、与えられた人の責任なのです。
御心のうちに生きる人が賜物を用いるとき、聖霊様は「ともに働いて」くださるでしょう。しかし、その人が真理から逸脱し、賜物を誤用し始めたなら、聖霊様は「ともに働いて」はくださいません。けれども、その人から「賜物」が取り去られるわけではありません。「現象」は、そのまま残ることがあるのです。
賜物は「取り消されることがない」からです。
「彼ら」は「聖霊」と「賜物」を区別することができなかったのです。「賜物」が豊かに働いているように見えたので、そこに当然「聖霊」がおられると思ってしまったのです。
忘れないでください。
聖霊は「フォース」のような力ではないし、そのあたりをただよう霊的なものでもありません。
聖霊は神です。聖なる霊です。そして人格を持っておられるのです。聖霊は「悲しまれる」のです。
聖霊様は「去って」行かれます。私たちは「御霊を消す」ことができるということです。これは、とても恐ろしい事実ですね。
いつでも、最も大切なことは「神のみこころ」です。「現象」は目的ではありません。何らかの「現われ」そのものが目的になっているならば、そこに聖霊様がおられることはないでしょう。
聖霊こそ「神のこころ」を啓示してくださる方です。
賜物が悪いのではありません。それを用いることが罪なのではありません。
ただ「聖霊」と「賜物」を混同してはならないということです。「現われ」は、救いの証拠ではないし、聖霊に満たされている証拠でもありません。
私たちは「惑わされ」ないようにしましょう。しっかりと、御言葉に根ざしましょう。
「神のみこころ」を行う者が「天の御国に入る」のです。私たちは「神のこころ」を求めましょう。
聖霊様こそ「神のみこころ」を示し「すべての真理」に導いてくださる方です。
主よ、みこころをお示しください
聖霊様の啓示が必要です
すべての真理に導き入れてください

