No.342 心のうちを携えて、ただ御前に出ます。絶えず待ち望みます。

ランタンと少年

ホセア12:5~6
主は万軍の神。その呼び名は主。あなたは、あなたの神に立ち返り、誠実と公正を守り、絶えずあなたの神を待ち望め。

「待つ」ことで引きずり出されるのです

「待つ」ことで信仰は試されます。主は、あえて聖徒を「待たせる」ことがあります。

主は、荒野においてイスラエルの民を待たせました。律法を与えるために、モーセを呼び寄せられたのです。

民は、山に上って行くモーセを見送りました。しかし、待てど暮らせどモーセは戻って来ません。しびれを切らした民はアロンに言いました。

出エジプト32:1
民はモーセが山から一向に下りて来ようとしないのを見て、アロンのもとに集まり、彼に言った。「さあ、われわれに先立って行く神々を、われわれのために造って欲しい。あのモーセという者がどうなったのか、分からないから。」

民は「われわれに先立って行く神々を、われわれのために造って欲しい」と言いました。これが民の「本性」です。

出エジプト32:6
彼らは翌朝早く全焼のささげ物を献げ、交わりのいけにえを供えた。そして民は、座っては食べたり飲んだりし、立っては戯れた。

彼らは、アロンの造った「金の子牛」に全焼のいけにえをささげました。「牛」に「牛」をささげたわけですね。「誰でも」「何でも」よかったのです。

「待つ」という期間の間に、イスラエルの民の「心」が引きずり出されました。彼らの神は「彼らの欲望」であることが明らかにされました。

サウルは、サムエルを「待つ」ことができませんでした。

Ⅰサムエル13:8
サウルは、サムエルがいることになっている例祭まで、七日間待ったが、サムエルはギルガルに来なかった。それで、兵たちはサウルから離れて散って行こうとした。

サウルは、兵が「散っていく」ことに耐えられませんでした。「待つ」ことは、サウルの心から「恐れ」と「不安」を引きずりだしました。彼が「本当は何に頼っているのか」が明らかになりました。

あなたの「忍耐」は試されているでしょうか。

「待つ」ことは、あなたの心を引きずり出しましたか。

あなたから引き出されたものは「自己中心」だったでしょうか。「恐れ」だったでしょうか。「不安」だったでしょうか。

どんな「心のうち」が引きずり出されたとしても気落ちしたり、投げ出したりしてはなりません。「見捨てられたかも」と心配する必要はありません。

主は、あなたの「心」から何が引きずり出されたとしても、動じたり、責めたりなさいません。

むしろ、待ってましたと言われるでしょう。

「よし、それが本音だね。さあ、来なさい。論じ合おう」と言われると思います。

Ⅰサムエル1:16
このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私は募る憂いと苛立ちのために、今まで祈っていたのです。

ハンナは「子を授かること」を待っていました。待っている間、彼女の心から引きずり出されたのは「募る憂いと苛立ち」でした。

もう一人の妻ペニンナに対する「苛立ち」は、相当なものだったでしょう。その「憂い」と「苛立ち」をハンナは、主の御前に持って行ったのです。

私たちは「ハンナ」のように祈りましょう。

私たちの心から、どのようなものが「引きずり出された」としても、それらをすべて御前に持って出るのです。

「自己中心的な思い」も「欲望」も、「恐れ」も「不安」も、「憂い」も「苛立ち」も…

ホセア12:5~6
主は万軍の神。その呼び名は主。あなたは、あなたの神に立ち返り、誠実と公正を守り、絶えずあなたの神を待ち望め。

主は「万軍の神」です。「戦って」そして「勝って」くださる方です。

私たちは、ただ「神に立ち返り」ひざまずきましょう。絶えず神を待ち望みましょう。

主は、あなたが「心のうち」を携えて御前に来ることを待っておられます。

主よ、私の心と思いを探ってください
主よ、本当のことを明らかにしてください
あなたを待ち望みます