No.39 主の足跡に従う

足跡を踏む女の子

Ⅰペテロ2:21
このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。

目をそむけたくなります

マルコ15:18~20
それから、「ユダヤ人の王様、万歳」と叫んで敬礼し始めた。また葦の棒でイエスの頭をたたき、唾をかけ、ひざまずいて拝んだ。彼らはイエスをからかってから、紫の衣を脱がせて、元の衣を着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。

兵士たちは、イエス様をからかいました。ふざけて「ユダヤ人の王、万歳」などと言いました。

頭を叩いて、唾をかけました。イエス様をからかい続け、十字架につけるため連れ出しました。

マルコ15: 29~31
通りすがりの人たちは、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おい、神殿を壊して三日で建てる人よ。十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」
同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを嘲って言った。「他人は救ったが、自分は救えない。キリスト、イスラエルの王に、今、十字架から降りてもらおう。それを見たら信じよう。」また、一緒に十字架につけられていた者たちもイエスをののしった。

通りすがりの人たちもイエス様をののしりました。祭司長や律法学者は、イエス様をあざけりました。そして、一緒に十字架につけられていた者たちさえも、イエス様をののしりました。

私はこの場面から目をそむけたくなります。読むのが辛くて飛ばしてしまいたくなります。

しかし、私はこのことを覚えていなければなりません。

Ⅰペテロ2:21
このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。

イエス様が十字架についてくださったので、私は十字架につく必要はありません。私のすべての罪は赦されました。

今はただ、主イエスの足跡に従うだけです。

Ⅰペテロ2:18~19
しもべたちよ。敬意をこめて主人に従いなさい。善良で優しい主人だけでなく、意地悪な主人にも従いなさい。もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。

不当だと文句を言いたくなることもあります。

自分を認めてもらえない辛さを味わうこともあるでしょう。

馬鹿にされたと悔しく思うこともあるかもしれません。

しかし、イエス様を思うとき、私たちの心の叫びは吹き飛びます。

Ⅰペテロ2:22~23
キリストは罪を犯したことがく、その口には欺きもなかった。ののしられてもののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。

イエス様ほど不当な扱いを受けた方はいません。

イエス様ほど権利を主張できる方はいません。

イエス様はからかわれたのです。罵られて、嘲られたのです。

私たちは、イエス様の足跡に従う者です。すべてのことを正しく裁かれる方にお任せしましょう。

イエス様は、すべてを味わってくださいました。それは、私たちに同情するためです。

ヘブル4:15
私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪を犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。

私はイエス様の足跡に従います。
イエス様は私の心を知ってくださいます。