【ピリピ4:6】
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝を持ってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
あらゆる場合にと聖書は言います
「できる時だけ」「そのような気分の時だけ」とは書かれていません。
祈る時には「感謝を持って」御前に出なければならないのです。
良いと思えることがあった日に感謝するのは簡単でしょう。嬉しいことがあれば自然と感謝します。
けれど、思い煩いがある日はどうでしょう。辛い時、苦しい時、周りをいくら探しても感謝するようなことが見つからない時には、とても難しく感じてしまいますね。
しかし、覚えてください。
感謝とは、探すものではないのです。
感謝をいつも「物」と「事」から探していたら、そのような信仰生活は浮き沈みが激しいものとなるでしょう。
感謝を「物」と「事」だけに見つけていたら、必ず行き詰まります。
なぜなら、感謝とは「探すもの」というより「認めるもの」だからです。
詩篇の記者が感謝しているように、私たちも感謝しましょう。
私たちは「主がいつくしみ深い方」であることを感謝します。
そのいつくしみ深い方こそ「唯一のまことの神」であることに感謝します。主が不思議を行われる方であることを感謝します。主が創造主であることを感謝します。そして、その恵みはとこしえまであることを感謝します。
主を見上げて、主の素晴らしさを見つめるのです。感謝はそこにあります。主の素晴らしさを認めて告白することこそ感謝なのです。
私には感謝することなど何もないと言わないでください。あなたの周りの「物」と「事」に感謝を探さないでください。
主を見つめるなら、必ず、そこに感謝を見出します。
主の素晴らしさを宣言してください。そうすれば思い煩いから目を離すことができます。
何も思わずらないで、あらゆる場合に感謝を持って祈りをささげることができます。
そうすれば、理解を超えた神の平安が与えられるのです。
私はあらゆる場合に感謝します。
主を見つめるなら感謝が尽きることはありません。