No.470 主は、あなたを求めておられます。今が、その時です。

一輪の花が窓辺に

ヨハネ4:21
イエスは彼女に言われた。「女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝するときが来ます。

あなたは求められているのです

このサマリアの女性は、おそらく、自分でも気がつかない思いを持っていたのです。

彼女は、それを間違ったところに求めて生きてきました。五回も結婚しましたが、誰も彼女に「求めるもの」を与えてはくれませんでした。

今日は、ただ「飲み水」を求めて井戸に来たのです。彼女は、今は、ただ「暮らして」いるだけです。

自分でも、自分が「何か」を求めていることに気がついていませんでした。しかし、この井戸で出会った不思議な人と会話をしているうちに、自分の心から「何か」湧きあがって来るものがあったのです。

イエス様は、サマリアの女と呼ばれる女性に言われました。

「女の人よ、わたしを信じなさい」

これは、とても直接的なおことばですね。

彼女は「それ」が何かはっきりとは分かっていませんでした。けれど、今、イエス様に言われて、彼女はその「何か」に気づきます。

イエス様は続けて言われました。

ヨハネ4:23
しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝するときが来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。

これは「招き」です。

五回も結婚して、それでも何も得られなかった自分…

今は、結婚という形式もなく、ただ暮らしているだけ…

恐らく彼女は、自分のことを「恥ずかしい」と感じていたでしょう。世間には認められない生き方だとも思っていたでしょう。

誰も理解してくれないし、自分でも自分を肯定することができない…

けれど、今、耳を疑うようなことを、この不思議な人が言ったのです。

「父は、礼拝者を求めている。あなたは、父の求めている礼拝者なのだ」

この山かエルサレムか、などということはどうでもいいのです。

あなたが、歌えるのか、楽器が弾けるのか、聖書を暗記してるのか、そのようなことも関係ありません。

もっと言えば、主は「賛美のことば」や「礼拝の雰囲気」を必要とはしておられません。

主が「求めておられる」のは「礼拝者」です。つまり、「あなた自身」です。

サマリアの女性は、自分が「求められている」ことを知りました。自分でさえ、自分を受け入れられないのに、そのような自分を「求めている方」がいらっしゃることを知ったのです。

そして、それこそ彼女の「求めていたこと」でした。自分を「認め、求めてくれる存在」を彼女は欲していたのです。

「信じられない」と彼女は思ったでしょう。

しかし、今しがた、彼がはっきり言ったことをこの耳が聞いています。

「女の人よ、わたしを信じなさい」

彼女は、イエス様を信じました。「水がめ」を置いて走って行きました。「暮らし」の必要を忘れさせるものに出会ったからです。

あなたは、イエス様を信じますか?

主の言われたことを信じますか?

「父は、礼拝者を求めて」おられるのです。

そして、その礼拝者とは「あなた」です。主は、何にもまして「あなた」を求めておられます。

あなたは、主の招きに応じますか?

「水がめ」を置きなさい。「暮らし」の必要は忘れなさい。

今が、その時です。

主が、私を求めてくださることを信じます
私は礼拝者として生きます
私の存在を認め、求めてくださる方を賛美します