No.245 主は、ここにおられます!

シナイ

出エジプト3:14
神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」

「わたしはある」という者であると言われました

主は、ご自身のことを「わたしはある」という者だと言われました。

現代語訳では「わたしはあらゆる存在の根源である」と訳されています。

口語訳では「有って有る者」と訳されます。

文語訳では「我は有て在る者なり」です。

マルティン・ブーバーというユダヤ人の哲学者は「わたしは、そこにいるだろう」と訳しているそうです。

「ある」とは、一言では言い表すことのできない、主の無限の可能性、多様性を示しているのだと言われます。

つまり「わたしは良き羊飼いである」「わたしはいのちのパンである」「わたしは道であり真理でありいのちである」というように、主は、私たちにとって「すべて」であり、「すべて」を有しておられるのです。

そして、同時に、「在る」という方でもあるのです。

エレミヤ23:24
人が隠れ場に身を隠したら、わたしはそれを見ることができないのか。
―主のことばー
天にも地にも、わたしは満ちているではないか。
ー主のことばー

主は「どこにでも」「いつでも」存在しておられます。

そうすると、文語訳の「我は有て在る者なり」や、ブーバーの「わたしは、そこにいるだろう」という訳も味わい深いものだなと思うのです。

詩篇139:8
たちえ 私が天に上っても そこにあなたはおられ
私がよみに床を設けても そこにあなたはおられます。

主は「天」にもおられます。

主は「地」にも満ちておられます。

主は「よみ」にさえおられます。

あなたが、どこにいても「わたしは、そこにいるだろう」と言われるのです。

誰も見てくれない、誰も気にしてくれないと思う時、主は「わたしは、そこにいるだろう」と言われます。

嬉しくて舞い上がってしまいそうな時にも「わたしは、そこにいるだろう」と言われます。

先が見えず、まるで闇の中にいるようだと感じる時、「わたしは、そこにいるだろう」と言われます。

世の終わりまで、いつも、絶えず、どんな場所であっても「わたしは、そこにいるだろう」と言われるのです。

今日、主は、あなたのそばにおられます。

今日、あなたの行く先に、ともにおられます。

主が「おられない」場所などないのです。

主は、今も「わたしは、そこにいるだろう」と、あなたに言われるのです。

主がともにおられます
私は「わたしはある」と言われる方に信頼します
主は天にも地にも満ちておられます