ヨシュア1:8
このみおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ。そのうちに記されていることをすべて守り行うためである。そのとき、あなたは自分がすることで繁栄し、そのとき、あなたは栄えるからである。
昼も夜も口ずさめと言われます
主は、ヨシュアに命じられました。
主はモーセの後継者として指名されたヨシュアに、ただ一つのことを命じられたのです。
「みおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ」
神の御言葉を「昼も夜も口ずさむ」ことが、イスラエルを率いてカナンの地を受け継がせるために、最も重要なことであったのです。
ヨシュアは、主の「方法」を知らなければなりませんでした。この後、主は、誰も考えつかない「不思議な戦法」をヨシュアに示されます。ヨシュアは黙ってエリコの城壁の周りを歩くという戦法を受け入れなければならないのです。
また、主は「不思議な方法」だけではなく「伏兵を設けよ」などという軍事作戦も授けられます。ヨシュアは、主がいつも同じ戦法を用いられるのではないことを知らなければなりません。
ヨシュアは「型にはまった」考え方を捨てなければなりませんでした。
ヨシュアは「主の思い」「主の道」を学ぶ必要があったのです。
モーセは、もういません。ヨシュアは自分で主の御声を聞いて従わなければならないのです。
「口ずさむ」とは「思い巡らす」ことです。常に、御言葉で心をいっぱいにすることです。
そうすれば、「主の思い」と「自分の思い」の違いがわかるようになります。
「右」にも「左」にも逸れてはなりません。主は「不思議な方法」を指示されます。また「常識的な方法」を指示されることもあります。
「方法」や「やり方」に注目するならば、私たちは「逸れて」しまうでしょう。方法に振り回されてはなりません。ただ「方法を授けられる方」だけに注目するのです。そして、主の「御思い」に同意しながら歩むのです。
そのために必要なのが「みおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ」という命令なのです。
自分の「考え」「思い」をわきに置き、ただみことばを「思い巡らし」ます。
もし「どうすればいいのか」と思い悩むことがあるならば、昼も夜も「みことばを口ずさむ」ことです。
ヨシュアほど「どうすればいいのか」と思い悩むべき理由を持つ人はいません。
「どうすれば」この民をカナンの地に導けるのか、確かに「思い悩む」のに十分な理由です。
モーセもいないのに、自分が本当に導いていけるのだろうか、そう考えると恐ろしかっただろうと思います。
ゆえに、主は「みおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ」と言われたのでしょう。
「どうすれば」と考えることは、あまり私たちの役にはたたないのです。むしろ、自分の考えを「思い巡らせる」のは有害であると思えます。
私たちが「思い巡らす」のは、主のみことばだけです。
そうすれば、主が何を言われているのかが分かるようになります。主の「方法」で物事を進めることができるようになります。
みこころを行いたい、新しい領域に入りたいと望むなら「みおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさむ」ことです。
私は、みことばを思いめぐらせます
自分の考えを巡らせるのはやめます
主の御思いを示してください