ヘブル11:16
しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。
天の故郷に憧れて
信仰の人々はみな、自分のことを「地上では旅人であり寄留者である」と告白していました。
彼らはみな「天の故郷」に憧れて旅を続けたのです。
「憧れて」と訳されている語は直訳すると、「切望する」「手を伸ばす」「身を乗り出して追い求める」という意味です。とても「熱烈」で「積極的」な意味を持つことばなのです。
信仰の人々はみな「どうしても天の故郷に行きたい」「なにがなんでもたどり着きたい」と熱望していたのです。
あなたは「天の故郷」に憧れていますか?
天の御国のことを思うとき、私はなぜだか「なつかしさ」を感じてしまいます。見たこともないし、行ったこともないのに、なぜだか訳もなく「なつかしい」のです。
恐らく、昔の信仰の人々もそうだったのではないかと想像します。
ここでイエス様が言われた「父の家」という言葉と「故郷」という語は、原語では同じ言葉です。
つまり、故郷とは「父の家」のことなのです。
放蕩息子は、落ちぶれた自分に気がついたとき、なぜ「出て来た家」に帰ったのでしょう?
答えは簡単です。「家」には「父」がいるからです。彼は「父のところに行こう」と言ったのです。
故郷とは「父のいるところ」です。
故郷とは「待っている人」がいるところです。
天の父は、あなたが御国に来ることを待っておられます。
あなたは、御国で「大歓迎」されるのです。
あなたのための「場所」があります。
地上では、旅人であり寄留者である私たちは、この世には「何も持っていない」かもしれません。
しかし、天の御国には、あなたのために用意された「家」があるのです。
そこで「天の父」があなたを待っておられます。
「父の家」に私たちは帰るのです。
「御父」がおられるところこそが、私たちの「故郷」です。
「恥となさいませんでした」とは、言い換えると「誇りとされました」です。
天の父は、天の故郷を熱望する聖徒を「誇らしく」思われるのです。
いつの日か、私は必ずそこに行きます。
天の故郷に憧れて生きましょう。熱烈に切望しながら歩みましょう。
御父は、あなたの神であること誇りとされるでしょう。
あなたは「天の故郷」に憧れていますか?
私は天の故郷に憧れます
私は必ず父の家に帰ります
私のための場所が用意されているからです

