ヘブル11:16
しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから、神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。
私は通りすがりの旅人なのです
「信仰の人」として召された人たちは「地上では旅人であり寄留者である」と告白しながら生きたのです。
「出て来た故郷」に帰る機会はあったでしょう。しかし、彼らは帰りませんでした。彼らは知っていたからです。「出て来た故郷」以上に素晴らしい「もっと良い故郷」が存在するのだということを。
彼らは「天の故郷に憧れて」生きたのです。
「天の故郷に憧れて」生きる人は、出て来た場所を振り返りません。自分が捨てて来たものを「惜しかったな」とは思いません。
「天の故郷に憧れて」生きる人は、地上に宝を求めません。旅人はできる限り身軽でいたいと思うものです。
「天の故郷に憧れて」生きる人は「上を見上げて」歩みます。なぜなら、そこに目指すべき場所があるからです。
主は「天の故郷に憧れて」生きる人を恥とはなさいません。
主は、私たちに「都」を用意しておられるのです。そして、ご自身の用意された都を慕い求めて欲しいと望まれるのです。
麗しい天の都を慕い求めましょう。それは私たちの「もっと良い故郷」です。私たちは神のもとへ帰るのです。
私たちの今日の一日は、「天の故郷」に近づく一日であることは間違いありません。私たちは、日々、「天の故郷」に近づいているのです。
世にあっては確かに患難があります。苦しい日も悲しい日もあります。
しかし、覚えてください。
私たちは確実に「天の故郷」に近づいているのだということを。私たちから、その望みを奪えるものは何もないのです。
上を見上げて「天の故郷」を思いつつ歩む人を、主は祝福してくださいます。主は、私を喜んで迎えてくださいます。
私は天の故郷を見上げます
主の用意してくださった都を感謝します
今日の一日は「故郷」に近づく一日です