No.214 衣に触れれば「御力」が流れます

聖書と鉛筆

マルコ5:29~30
すると、すぐに血の源が乾いて、病気が癒されたことをからだが感じた。イエスも、自分のうちから力が出て行ったことにすぐ気がつき、群衆の中で振り向いて言われた。「だれが私の衣にさわったのですか。」

それは説明のできない力です

マタイ8:20
すると見よ。十二年の間、長血を患っている女の人が、イエスのうしろから近づいて、その衣の房に触れた。

彼女は12年、苦しみました。しかし、今日、癒されるチャンスが来たのです。うわさに聞いていた「あの方」が、すぐ近くまで来ておられるのです。

彼女はずっと考えていました。イエス様の衣に「触れさえすれば」そうすれば「救われる」と。今日、それを実行する最大のチャンスが訪れました。

長血を患っている自分が「汚れた者」であることは、誰に言われずとも自分自身がよく知っています。「汚れた者」である自分は、人には触れてはいけないのだと、彼女はよく分かっていました。

ですから、こっそりと、大勢の人に取り囲まれているイエス様に近づいたのです。そして、すべての勇気を振り絞って「その衣の房」に触れたのです。

民数記15:38~39a
イスラエルの子らに告げて、彼らが代々にわたり、衣服の裾の四隅に房を造り、その隅の房に青いひもを付けるように言え。その房はあなたがたのためであって、あなたがたがそれを見て、主のすべての命令を思い起こしてそれを行うためであり、

イエス様の時代のイスラエルの男性服には「四隅の房に青いひも」が付けられていました。もちろん、例外なく、イエス様の衣にも「青いひも」が付けられていたでしょう。

長血を患っていた女の人は、この「青いひも」に触れたのです。

これは「神の律法」「神のみことば」を象徴するものです。主は、その「青いひも」を見るとき「わたしのすべての命令を思い起こせ」と言われます。

長血の女性は、この「青いひも」に触れたのです。つまり彼女は「主のみことば」に触れたのです。

マルコ5:30
イエスも、自分のうちから力が出て行ったことにすぐ気がつき、群衆の中で振り向いて言われた。「だれが私の衣にさわったのですか。」

彼女が、衣のふさに触れたことに、イエス様は、すぐ気づかれました。なぜなら、イエス様のうちから「力が出て行った」からです。

イエス様のうちから出て行った「力」は、長血の女性に働きました。「癒されたことをからだが感じた」のです。

主イエスの力は「感じる」ことのできるものです。それは説明のつかない「力」です。しかし、確実に感じます。

私は「感情」について言っているのではありません。それは「感情」ではありません。その「力」は「感じる」ものです。それは「体験」です。

あなたの問題が何であれ、どんなものであれ、あなたがするべきことは、主イエスの近くに行くことです。

そして、一心に、すべての力を振り絞って「みことば」に触れることです。

頭であれこれ考えるのはひとまず終わりにします。

長血の女の人は、人に触れてはいけなかったのです。恐らく、彼女はイエス様に触れることを恐れたでしょう。「汚れた者」である自分が、果たして触れて許されるだろうかと考えたでしょう。頭で考え続けたなら、彼女は一生、イエス様に触れることはできなかったでしょう。

しかし、彼女は心のうちで言い続けたのです。そして、心で決断しました。

マタイ9:21
「この方の衣に触れさえすれば、私は救われる」と心のうちで考えたからである。

イエス様は、決して拒まれません。

御そばに近づくのです。そして、主のみことばに触れるのです。そうすれば、説明のつかない「主イエスの力」があなたに働くのを「感じる」でしょう。

それは、恐れを吹き飛ばす「平安」であるかもしれません。それは、こんなに落ち込んでいるのに、どこからかわきあがる「喜び」かもしれません。行きたくないところに向かう「勇気」かもしれませんし、あの人を「愛する心」かもしれません。そして、もちろん「癒し」であるかもしれません。

主イエスを求めましょう。主の御そばに行くことを切に求めましょう。そして、御言葉に触れるのです。

そうすれば、必ず「主イエスの力」が流れます。

私は、主イエスのみそばに行きます
御言葉に触れることを教えてください
信仰をもって近づきます