No.390 神の武具⑤ 救いのかぶとをかぶります

蜂と花

エペソ6:17a
救いのかぶとをかぶり、

をれは「頭」を守るものです。

「かぶと」とは、頭を守るものです。

この防具は、普通、青銅や鉄の合金で造られます。かぶとには、さらに防御を高めるために頬当てがついています。斧でも使わないかぎり、このかぶとをぶち抜くことはできません。
力のいやし ジョン・ウィンバー著 マルコーシュ・パブリケーション

「かぶと」がとても頑丈に造られていることがわかります。兵士にとって「頭」を守ることは重要なのです。

私たちにとって「頭」とは「思考」を意味します。

キリストの兵士にとって「思考」を守ることは、戦いにおいて非常に重要なことなのです。

Ⅱコリント10:4
私たちの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力のあるものです。

私たちの武器は「肉のもの」ではありません。つまり「見えない武器」です。その「武器」は「要塞」を打ち倒す強力なものです。

そして、私たちが「打ち倒す要塞」もまた「見える要塞」ではありません。

Ⅱコリント10:5
私たちは様々な議論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。

敵の要塞は、私たちの「頭の中」つまり「思考」に築かれます。

私たちの「頭の中」で行われている戦いに気がつかねばなりません。

私たちは、なぜ「無気力」になったり「投げやり」になったりするのでしょう。

「様々な議論」が頭の中で繰り広げられ、私たちが「世の中の考え」に屈服してしまうからです。つまり「要塞」が築かれるのを許してしまっているからです。

「落胆」や「失望」と言った言葉は、聖徒の人生にふさわしくはありません。しかし、私たちは多くの年月を「無気力」に「失望」して過ごしています。

まるで「救われていないかのように」過ごしているのが現状でしょう。

Ⅰペテロ1:8~9
あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに踊っています。あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。

「たましいの救いを得ている人」は「栄えに満ちた喜びに踊る人」です。

救われている人は、何がそんなに嬉しいのか分からないけれど「心に喜びがあふれてくる」のです。

キリストについて「知る」ことは良いことです。「知識」が増すのは楽しいものです。しかし、悪しき敵が「思考に要塞を築く」ということを覚えておかなければなりません。

「思考に要塞が築かれる」と、私たちは「栄えに満ちた喜び」を失います。「喜び」のかわりに「無気力」「落胆」「失望」に満たされてしまうのです。

「救い」は「かぶと」であるとパウロは言います。

「思考」は「救いを宣言すること」によって守られます。

使徒26:18a
それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ちかえらせ、

「救い」とは、ある意味において「立ち位置」の問題です。

ですから、日々、宣言してください。

「私は、信仰によって救いを得ています。闇から光へと移されています。私は「神の側」に立っています。私は、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。私から「救いの喜び」を奪えるものはありません。」

私たちは「救いを得て」います。そして「ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに踊る」ことができるのです。

あなたが「栄えに満ちた喜び」に陰りを感じるなら、今一度「救いのかぶと」をかぶりなおす必要があるでしょう。

救いを宣言してください。罪が赦されていることを確信してください。

主イエスの御業に感謝してください。

日々、救いのかぶとをかぶり「思考」に築かれる要塞を打ち砕いて歩みましょう。

私は、イエス様にあって救いを得ています
すべての「はかりごと」を捕らえて服従させます
私は「栄えに満ちた喜びに」あふれます