エペソ6:17a
救いのかぶとをかぶり、
をれは「頭」を守るものです。
「かぶと」とは、頭を守るものです。
この防具は、普通、青銅や鉄の合金で造られます。かぶとには、さらに防御を高めるために頬当てがついています。斧でも使わないかぎり、このかぶとをぶち抜くことはできません。
力のいやし ジョン・ウィンバー著 マルコーシュ・パブリケーション
「かぶと」がとても頑丈に造られていることがわかります。兵士にとって「頭」を守ることは重要なのです。
私たちにとって「頭」とは「思考」を意味します。
キリストの兵士にとって「思考」を守ることは、戦いにおいて非常に重要なことなのです。
私たちの武器は「肉のもの」ではありません。つまり「見えない武器」です。その「武器」は「要塞」を打ち倒す強力なものです。
そして、私たちが「打ち倒す要塞」もまた「見える要塞」ではありません。
敵の要塞は、私たちの「頭の中」つまり「思考」に築かれます。
私たちの「頭の中」で行われている戦いに気がつかねばなりません。
私たちは、なぜ「無気力」になったり「投げやり」になったりするのでしょう。
「様々な議論」が頭の中で繰り広げられ、私たちが「世の中の考え」に屈服してしまうからです。つまり「要塞」が築かれるのを許してしまっているからです。
「落胆」や「失望」と言った言葉は、聖徒の人生にふさわしくはありません。しかし、私たちは多くの年月を「無気力」に「失望」して過ごしています。
まるで「救われていないかのように」過ごしているのが現状でしょう。
「たましいの救いを得ている人」は「栄えに満ちた喜びに踊る人」です。
救われている人は、何がそんなに嬉しいのか分からないけれど「心に喜びがあふれてくる」のです。
キリストについて「知る」ことは良いことです。「知識」が増すのは楽しいものです。しかし、悪しき敵が「思考に要塞を築く」ということを覚えておかなければなりません。
「思考に要塞が築かれる」と、私たちは「栄えに満ちた喜び」を失います。「喜び」のかわりに「無気力」「落胆」「失望」に満たされてしまうのです。
「救い」は「かぶと」であるとパウロは言います。
「思考」は「救いを宣言すること」によって守られます。
「救い」とは、ある意味において「立ち位置」の問題です。
ですから、日々、宣言してください。
「私は、信仰によって救いを得ています。闇から光へと移されています。私は「神の側」に立っています。私は、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。私から「救いの喜び」を奪えるものはありません。」
私たちは「救いを得て」います。そして「ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに踊る」ことができるのです。
あなたが「栄えに満ちた喜び」に陰りを感じるなら、今一度「救いのかぶと」をかぶりなおす必要があるでしょう。
救いを宣言してください。罪が赦されていることを確信してください。
主イエスの御業に感謝してください。
日々、救いのかぶとをかぶり「思考」に築かれる要塞を打ち砕いて歩みましょう。
私は、イエス様にあって救いを得ています
すべての「はかりごと」を捕らえて服従させます
私は「栄えに満ちた喜びに」あふれます