【マタイ5:12】
喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。
喜びなさいと言われました。
「喜びなさい、大いに喜びなさい」とイエス様は言われます。
「喜ぶ」どころではなく、「大いに喜べ」と言われるのです。
何を喜ぶのでしょうか?
イエス様は「わたしのために迫害されるとき、あなたがたは幸いです」と言われました。
この「幸いです」という語は、ちょっと幸せではなく「至福」という意味です。
つまり「この上もない幸せ」「うらやむべき状態にある」ということです。
そして「悪口を浴びせる」を直訳すると「あらゆる悪口を言う」となります。
イエス様のために「あらゆる悪口を言われる」とき、私たちは「至福」であるということです。
そして、そのことを「喜べ、大いに喜べ」と言われるのです。
私たちは、いつも喜ぶべきこと、幸いなことを自分の周囲に探します。
目に見えるところ「この世」に至福を見つけようと一生懸命に探します。
しかし、イエス様は言われます。
「天において」と。
「天においてあなたがたの報いは大きいのですから」と言われました。
私たちの「報い」は上にあります。
私たちは上にあるものを思います。
「天において」とイエス様が言われるとき、それはただの「夢物語」や「絵空事」ではありません。
私は、必ずイエス様の元へ行きます。携挙されるのが早いか、私が召されるのが早いかはわかりませんが。
天の御国は、私たちが見ている「この世」以上に現実です。神様は、私が存在している以上に現実です。
天には私たちのための「資産」が必ず蓄えられています。
私たちは「上にあるもの」を求めます。イエス様は「天において」報いがあると言われました。
下を向いて歩くのは終わりにしましょう。そこには私たちが受け継ぐものはありません。
私たちの「資産」は天に蓄えらえているのですから。
私は「上にあるもの」を求めます。
天に報いがあることを信じます。
そして、どんなときも大いに喜びます。