No.20 父のもとへ向かう

子豚の写真

ルカ15:20
こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。

彼は立ち上がって父のもとへ向かった

放蕩息子は、父親の財産のすべてを湯水のように使ってしまいました。

何もかも使い果たした今、彼は豚の世話をしつつ、その餌を凝視している自分に気がついたのです。

この「エサを食べたい」と思っている自分の姿を見て「我に返った」のです。

ルカ15:16~17
彼は、豚が食べているいなご豆で腹を満たしたいほどだったが、だれも彼に与えてはくれなかった。しかし、彼は我に返って言った。「父のところには、パンのあり余っている雇い人が、なんと大勢いることか。それなのに、私はここで飢え死にしようとしている。

「いったい自分は、何を考えているのか。何をしているのか。どうしてこんなことになったのか。ああ、もう自分はダメだ。限界だ。」

ありのままの人というのは、このような状態なのです。

神様から離れている人というのは、そのような状態にあるのです。

そのことに気が付いた人は幸いです。

放蕩息子は、豊かな父の家のことを思い出します。

そして、立ち上がり父の元へ向かいます。

真の悔い改めとは、「今までの自分の生き方ではダメだ」と認めることです。

「向きを変えて神のもとへ行くこと」です。

「もう自分のために、自分の方法で生きない。イエス様のために、イエス様の方法で生きる」と決断することです。

ルカ15:21~22
息子は父に言った。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪あるものです。もう息子と呼ばれる資格はありません。」ところが父親は、しもべ達に言った。「急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。」

「もう子どもと呼ばれる資格はない」と言う息子を、父は抱きしめ、温かく迎え入れます。

汚れた服は、新しい上等な服へ替えられました。手には指輪を、足には履物を。

エペソ1:3
私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。

あなたは我に返りましたか?

「自分のやり方ではダメだ。イエス様の方法で生きる」と決めましたか?

向きを変えて、主のもとへ戻りましたか?

そうであるならば大丈夫です。

もうダメだと感じることがあっても大丈夫です。

へこたれそうになっても、神の子であるという立場はゆるぎません。

すべての霊的祝福で祝福されています。

神の愛も、平安も、喜びも、あふれるほどに注がれます。

私たちは新しくキリストを着ています。

権威の指輪を手にはめて、平和の福音の備えを履くことができます。

私たちは、いつまでも、主の家に住まいます。

ローマ8:31
では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

私は、我に返りました。
私は、もう自分の方法では生きません。
私は、神の御手の下にへりくだります。
今日も、主は私の味方です。