【ヨハネ4:35】
あなたがたは、「まだ四ヶ月あって、それから刈り入れだ」と言ってはいませんか。しかし、あなたがたに言います。目を上げて畑を見なさい。色づいて刈り入れるばかりになっています。
一人が種を蒔き、ほかの者が刈り取る
私たちは自分が蒔かなかったものを刈り入れることができるのです。
ある50代のお医者さんが救われた話を読みました。
彼は医学生だったときに、下宿の主人がイエスについて話してくれたことを私たちに語ってくれました。イエスが私たちの罪を取り除くために十字架で死んでくださったことを、彼はその人から聞いていたのです。当時、彼はとても忙しく、そのことについてじっくり考えることができなかったのですが、私たちの話を聞いたとき、その下宿の主人が神の力について語っていたのを思い出したのです。彼は、その主人が「もし自分の人生に何かが欠けていると思うことがあったら、聖書について、特にキリストの十字架の意味について説明できる人を探しなさい」と言ってくれたことも思い出しました。
主の御手のうちに P72 マッジ・ベッコン著 伝道出版社
これは30年前に蒔かれた種が実を結んだという証です。
彼は、当時は「忙しくて」考えることができませんでした。
しかし、蒔かれた「みことばの種」は彼の心のうちに残っていました。
私たちは、あきらめることをやめましょう。
機会あるごとに、みことばの種を蒔きましょう。
主は、蒔かれた種を見ていてくださいます。
そして、他の誰かが刈り入れてくれます。
また私たちは、目をあげて畑を見ましょう。
私たちの知らないところで、他の誰かが信仰を持って蒔いた「みことばの種」があります。
その種が「色づいて刈り入れるばかり」となっています。
「どこにそんな収穫があるのか?」と疑わずに「目を上げる」のです。
そうすれば、必ず、主と同じ光景が見えるようになると信じます。
主が出会いを与えてくださると信じましょう。
サマリアの女と呼ばれる女性の証言を町中の人が信じました。
イエス様が井戸で出会った女性は「種蒔く人」となり、弟子たちは「刈り入れる人」となったのです。
弟子たちは、イエス様が用意された収穫を刈り入れたのです。
主が出会いを与えてくださいますように。
主が出会わせてくださる人に「みことばの種」を蒔けますように。
主が用意された「収穫」に出会えますように。
蒔くことにも、刈り入れることにも、主が私たちを用いてくださいますように。
主よ、収穫のために働き手を送ってください。
私を働き手にしてください。
蒔くことにも、刈ることにも用いてください。