詩篇57:8
私のたましいよ 目を覚ませ。琴よ 竪琴よ 目を覚ませ。私は暁を呼び覚まそう。
目を覚ませと詩人は歌います
ダビデは「私のたましいよ 目を覚ませ」と命じています。
ここで「たましい」と訳されている語は、直訳すると「栄光」です。
その他には「誉れ」「豊かさ」「威厳」「評判」「敬愛」「光輝」などという意味もあります。
新共同訳では「目覚めよ、わたしの誉れよ」と訳されています。
ダビデは、自分の「回復」を命じているのです。
ダビデのたましいは「絶体絶命」の状態でした。
獅子が牙をむいて襲って来るのに、ダビデには立ち上がる気力もないのです。
ダビデを責める人々は、言葉が巧みだったのでしょう。彼らの言葉は、鋭い剣のようでした。それは、容赦なくダビデの心を突き刺しました。
恐らく、中傷や陰口が蔓延していたのです。ダビデは、自分の評判が地に落ちたように感じました。誰もかれもが「敵」に見えました。みなが、自分が失敗することを望んでいるように思えました。
ダビデのたましいは「うなだれて」いました。
辛い思い、悲しい思い、痛む心を抱えて、たましいが「うなだれて」いたのです。
ああ、これが「主に愛されている者の姿」でしょうか。「主に油注がれた者」の姿でしょうか。
心無い言葉に傷ついて、自分の評判は地に落ちたと「うなだれて」いるのは、ダビデの本来の姿ではないのです。
だからこそ、ダビデは「命じる」のです。
ダビデは言います。
「私の栄光よ、目を覚ませ」
「私の威厳よ、目覚めよ」
「私の評判よ、回復せよ」
「私の豊かさよ、満ちあふれよ」
あなたは、何に「うなだれて」いるのでしょう?
心無い人の言葉が、あなたを傷つけたのでしょうか。
あなたは、なぜ「うなだれて」いるのでしょう?
なぜ自分は「もう無理だ」と思いこんでいるのでしょうか。
あなたは、本来の姿を取り戻さなければなりません。
「主に愛されている者」としての威厳を回復せねばなりません。
敵が、あなたに何を吹き込んだとしても、それを信じてはなりません。
主が、あなたを「どのように」見ておられるのかを思い出しなさい。
「愛するわが子よ、あなたは、わたしに見捨てられることがない」と言われる方を見上げなさい。
権威を持って宣言しなさい。お願いするのではありません。
あなたの「栄光」に目覚めるように命じなさい。
あなたの「たましい」に回復を命じるのです。
奪われたものは「取り返す」のです。
あなたは「王の子ども」であることを決して忘れてはなりません。
私は、主の似姿に造られました
私は、神の子どもです
私は、主の栄光に輝きます

