マタイ27:3~4
そのころ、イエスを売ったユダはイエスが死刑に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちと長老たちに返して、言った。「私は無実の人の血を売って罪を犯しました。」しかし、彼らは言った。「われわれの知ったことか。自分で始末することだ。」
自分で始末することだ
その言葉は、ユダの心に突き刺さったのだろうと思います。
サタンは時々、私たちの心にも同じ言葉を投げつけてきます。
罪に誘い込む時には、すり寄って来るのに、ひとたび「私は罪を犯した」と悟り始めると、手のひらを返したように冷たく突き放すのです。
ユダは後悔していました。
自分は「無実の人を売ってしまった。あろうことかイエス様を売ってしまった」と。
お金を返しても拭い切れない罪悪感。
確かに、誰のせいでもありません。自分で決めて、自分で実行したのです。
ああ、私は何てことをしてしまったのだろうと、私たちの心が後悔でいっぱいになったとき、サタンは囁いてくるでしょう。
「自分で始末することだ」
愛する兄弟姉妹、決して、決して、自分で自分の始末をしてはいけません。
後悔の心に満たされても、そこで立ち止まってしまわないでください。
イエス様が始末して下さったことを忘れないでください。
私が不敬虔であった時、罪人であった時、敵でさえあった時、イエス様が十字架に架かって死んでくださったのです。
サタンは訴える者です。告発者です。
しかし、私たちは「子羊の血と証のことばのゆえに」打ち勝つ者です。
聖霊様は、誤りを明らかにされます。
しかし、罪悪感で責めたりはされません。
決して「自分で始末をつけろ」とは言われません。
罪悪感をもたらすのはサタンです。
どうか、自分のしてしまったことを見て、怖くなって後悔しても、そこに立ち止まってしまわないでください。
後悔は「悔い改め」ではありません。
「悔い改め」とは、自分のしてしまったことを見て「向きを変えること」です。
「向きを変えて」もう一度、御父の元へ戻ることです。
主は「赦してください」「助けてください」と泣きながら戻ってくる子を必ず受け入れてくださいます。
罪悪感に押しつぶされないでください。
後悔は、あなたを立ち止まらせるだけです。
それは、聖霊様からのものではないことを覚えていてください。
私たちは「自分で始末」する必要はないのです。
罪悪感に襲われるときには立ち向かいましょう。
「主イエス・キリストの御名と流された血潮の権威によって命じる。罪悪感をもたらす者よ、私から離れ去れ。
私の罪は、すべて主イエスが始末された。お前は、私と何の関わりもない。」
私は、聖霊様の優しい御声を聞きます。
聖霊様の導きに従います。
後悔ではなく悔い改め、主のもとに行きます。