マタイ11:11
まことに、あなたがたに言います。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした。しかし、天の御国で一番小さな者でさえ、彼より偉大です。
バプテスマのヨハネは偉大な人です
バプテスマのヨハネの偉大さは明らかです。イエス様も彼の偉大さを認めて言われました。
「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした」
けれど、イエス様は続けて驚くべきことを言われたのです。
「しかし、天の御国で一番小さな者でさえ、彼より偉大です」
これは「天の御国では、みなヨハネ以上の能力をもった偉大な人物となれる」という意味でしょうか?
そうではありません。
天の御国の基準は「この世の基準とは違う」ということです。「天の御国いる」ということが「小さな者」を偉大にするのです。
主にあって大切なことは、あなたが「何者であるのか」ではなくて「どこにいるのか」ということです。
サタンは、エバに「あなたは善悪を知るようになれる」といいました。つまり「あなた自身が神になれるのですよ」と誘惑したのです。エバにとって「自分が神のようになること」は、とても魅力的なことでした。
「世の中」はいつも「おまえはいったい何者か」と私たちに問います。そして「あなたは、何者かにならなくてはならない」「あなたも何者かになれるはず」と迫ってきます。
私たちは、時々、そのような言葉に翻弄されて「何かをしなくては」「何者かにならなくては」と焦ってしまうのです。
そうして、周りを見渡して、誰かと自分を比べて「あの人よりは役に立っている」と誇ったり、「あの人に比べたら全然だめだ」と落ち込んだりするのです。
主は、善悪の知識の実を食べた人に言われました。
主は、私たちにも問われます。
「あなたはどこにいるのか」
人は「善悪の知識の実」を食べた瞬間から、自分の居場所を見失うのです。「神のようになろう」とするならば、エデンの園にいることは出来ないのです。
大切なことは「何者であるか」ではなく「どこにいるのか」です。
私たちが気にしなければならないことは、自分が「どこにいるのか」ということです。
あなたは、今「どこに」いるのでしょう?
私たちは光の中にいます。私たちは神の統治のもとにいます。地上に足をつけてはいますが「国籍は天」にあります。
私たちは「御国」にいます。
それが「何者であるか」より大切なのです。
それは、この世において「偉大なことを成し遂げること」より、もっとずっと大切なのです。
私の国籍は天にあります
私は闇ではなく光の中にいます
愛する御子の支配な中にいます